Category archives: 1920 ─ 1929

野茨に鳩

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

春はふけ、春はほうけて、

古ぼけた、草家の屋根で、よ。

日がな啼く、白い野鳩が、

啼いても、けふ日は逝つて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

庭も荒れ、荒るるばかしか、

人も来ぬ葎が蔭に、よ。

茨が咲く、白い野茨が、

咲いても、知られず、散つて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

何を見ても、何を為てもよ、

ああいやだ、寂しいばかりよ。

椅子が揺れる、白い寝椅子が、

寝椅子もゆさぶりや折れて了ふ。

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

日は永い、真昼は深い。

そよ風は吹いても尽きず、よ。

ただだるい、だるい、ばかり、よ、

どうにもかうにも倦んで了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

空は、空は、いつも蒼い、が、

わしや元の嬰児ぢやなし、よ。

世は夢だ、野茨の夢だ、

夢なら、醒めたら消えて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

気はふさぐ、身体は重い、

おおままよ、ねんねが小椅子、よ。

子供げて、揺れば揺れよが、

溜息ばかりが揺れて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

昨日まで、堪へても来たが、

明日ゆゑに、今日は暗し、よ。

人もいや、聞くもいやなり、

それでも独ぢや泣けて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

心から、ようも笑へず。

さればとて、泣くに泣けず、よ。

煙草でも、それぢや、ふかそか、

煙草も煙になつて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

春だ、春だ、それでも春だ。

白い鳩が啼いてほけて、よ、

白い茨が咲いて散つて、よ、

かうしてけふ日も暮れて了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

日は暮れた、昔は遠い、

世も末だ、傾ぶきかけた、よ。

わしや寂びる、いのちは腐る、

腐れていつかと死んで了ふ。

 

おお、ほろろん、ほろろん、ほろほろ、

おお、ほろほろ。

ほろほろ、ほろろん、

おお、ほろほろ……

 

北原白秋

水墨集」所収

1923

春望詞

風花日將老

佳期尚渺渺

不結同心人

空結同心草

 

薜濤

831

 

春のをとめ

 

しづ心なく散る花に

なげきぞ長きわが袂

情をつくす君をなみ

つむや愁ひのつくづくし

 

佐藤春夫

車塵集」所収

1929

秋刀魚の歌

あはれ

秋風よ

情あらば伝へてよ

──男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

思ひにふける と。

 

さんま、さんま

そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて

さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

そのならひをあやしみてなつかしみて女は

いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。

あはれ、人に捨てられんとする人妻と

妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、

愛うすき父を持ちし女の児は

小さき箸をあやつりなやみつつ

父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 

あはれ

秋風よ

汝こそは見つらめ

世のつねならぬかの団欒を。

いかに

秋風よ

いとせめて

証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

あはれ

秋風よ

情あらば伝へてよ、

夫を失はざりし妻と

父を失はざりし幼児とに伝へてよ

──男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

涙をながす と。

 

さんま、さんま

さんま苦いか塩つぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし

 

佐藤春夫

我が一九二二年」所収

1923

おとなしくして居ると

花花が咲くのねって 桃子がいう

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

人形

ねころんでいたらば

うまのりになっていた桃子が

そっとせなかへ人形をのせていってしまった

うたをうたいながらあっちへいってしまった

そのささやかな人形のおもみがうれしくて

はらばいになったまま

胸をふくらませてみたりつぼめたりしていた

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

影絵

半欠けの日本の月の下を、

一寸法師の夫婦が急ぐ。

 

二人ながらに思ひつめたる前かがみ、

さてもくどくどしい二つの鼻のシルエツト。

 

生白い河岸をまだらに染め抜いた、

柳並木の影を踏んで

せかせかと──何に追はれる、

揃はぬがちのその足どりは?

 

手をひきあつた影の道化は

あれもうそこな遠見の橋の

黒い擬宝珠の下を通る。

冷飯草履の地を掃く音は

もはや聞こえぬ。

 

半欠の月は、今宵、柳との

逢引の時刻を忘れてゐる。

 

富永太郎

富永太郎詩集」所収

1922

 

はらへたまつてゆく かなしみ

かなしみは しづかに たまつてくる

しみじみと そして なみなみと

たまりたまつてくる わたしの かなしみは

ひそかに だが つよく 透きとほつてゆく

 

こうしてわたしは痴人のごとく

さいげんもなく かなしみを たべてゐる

いづくへとても ゆくところもないゆえ

のこりなく かなしみは はらへたまつてゆく

 

八木重吉

秋の瞳」所収

1925

鳩が飛ぶ

あき空を はとが とぶ、

それでよい

それで いいのだ

 

八木重吉

秋の瞳」所収

1925

草に すわる

わたしの まちがひだつた

わたしのまちがひだつた

こうして 草にすわれば それがわかる

 

八木重吉

秋の瞳」所収

1925

白き響き

さく、と 食へば

さく、と くわるる この 林檎の 白き肉

なにゆえの このあわただしさぞ

そそくさとくひければ

わが鼻先きに ぬれし汁

 

ああ、りんごの 白きにくにただよふ

まさびしく 白きひびき

 

八木重吉

秋の瞳

1925