Category archives: 1920 ─ 1929

月から見た地球

月から観た地球は、円かな、

紫の光であった、

深いひほひの。

 

わたしは立つてゐた、海の渚に。

地球こそは夜空に

をさなかつた、生れたばかりで。

 

大きく、のぼつてゐた、地球は。

その肩に空気が燃えた。

雲が別れた。

 

潮鳴を、わたしは、草木と

火を噴く山の地動を聴いた。

人の呼吸を。

 

わたしは夢見てゐたのか、

紫のその光を、

わが東に。

 

いや、すでに知つてゐたのだ。地球人が

早くも神を求めてゐたのを、

また創つてゐたのを。

 

北原白秋

海豹と雲」所収

1929

遺伝

人家は地面にへたばつて

おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。

さびしいまつ暗な自然の中で

動物は恐れにふるへ

なにかの夢魔におびやかされ

かなしく青ざめて吠えてゐます。

のをあある とをあある やわあ

 

もろこしの葉は風に吹かれて

さわさわと闇に鳴つてる。

お聽き! しづかにして

道路の向うで吠えてゐる

あれは犬の遠吠だよ。

のをあある とをあある やわあ

 

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」

「いいえ子供

犬は飢ゑてゐるのです。」

 

遠くの空の微光の方から

ふるへる物象のかげの方から

犬はかれらの敵を眺めた

遺傳の 本能の ふるいふるい記憶のはてに

あはれな先祖のすがたをかんじた。

 

犬のこころは恐れに青ざめ

夜陰の道路にながく吠える。

のをあある とをあある のをあある やわああ

 

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」

「いいえ子供

犬は飢ゑてゐるのですよ。」

 

萩原朔太郎

青猫」所収

1923

旅上

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背廣をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。

 

萩原朔太郎

純情小曲集」所収

1925

少年の日

1

野ゆき山ゆき海辺ゆき

真ひるの丘べ花を敷き

つぶら瞳の君ゆゑに

うれひは青し空よりも。

2

影おほき林をたどり

夢ふかきみ瞳を恋ひ

あたたかき真昼の丘べ

花を敷き、あはれ若き日。

3

君が瞳はつぶらにて

君が心は知りがたし

君をはなれて唯ひとり

月夜の海に石を投ぐ。

4

君は夜な夜な毛糸編む

銀の編み棒に編む糸は

かぐろなる糸あかき糸

そのラムプ敷き誰がものぞ。

 

佐藤春夫

殉情詩集」所収

1921

わが家の下婢

すでにかの女は

不思議な野山の匂ひをもち

夜半の

発光する奇蹟をたつぷり身にふくむでゐるやうな

眼をひかり

のろり、のろりと家の深みを歩いて

どこかあいらしい鬼狐の友だ。

 

瓜をたべると

ものの隅に跼り、髪をたれて

もう夢を見てゐる

幼いやうな、悲しいやうな

だんまり、むつつり

うしろは、へんに茂つた

ふかい田舎の歴史がぼうぼう

どこかに泥をふくむで

ぢつとしたかの女は、

もう

梢に半月をもつた宵の梟である。

 

佐藤惣之助

情艶詩集」所収

1926

ひかる人

私をぬぐらせてしまひ

そこのところへひかるやうな人をたたせたい

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

母をおもふ

けしきが

あかるくなつてきた

母をつれて

てくてくあるきたくなつた

母はきつと

重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだらう

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

無声慟哭

こんなにみんなにみまもられながら

おまへはまだここでくるしまなければならないか

ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ

また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ

わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき

おまへはじぶんにさだめられたみちを

ひとりさびしく往かうとするか

信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが

あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて

毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき

おまへはひとりどこへ行かうとするのだ

  (おら おかないふうしてらべ)

何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら

またわたくしのどんなちひさな表情も

けつして見遁さないやうにしながら

おまへはけなげに母に訊くのだ

  (うんにや ずゐぶん立派だぢやい

   けふはほんとに立派だぢやい)

ほんたうにさうだ

髪だつていつそうくろいし

まるでこどもの苹果の頬だ

どうかきれいな頬をして

あたらしく天にうまれてくれ

  《それでもからだくさえがべ?》

  《うんにや いつかう》

ほんたうにそんなことはない

かへつてここはなつののはらの

ちひさな白い花の匂でいつぱいだから

ただわたくしはそれをいま言へないのだ

   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)

わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは

わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ

ああそんなに

かなしく眼をそらしてはいけない

 

宮沢賢治

春と修羅」所収

1924

 

報告

さっき火事だとさわぎましたのは虹でございました

もう一時間もつづいてりんと張って居ります

 

宮沢賢治

春と修羅」所収

1924

鰊が地下鉄道をくぐつて食卓に運ばれてくる。

 

安西冬衛

軍艦茉莉」所収

1929