Category archives: 1980 ─ 1989

しずかな夫婦

結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代わりにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し
お見合いだ お見合いだ とはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私は ふわふわと歩いた。
──ニシンそばでもたべませんか と私は云った。
──ニシンはきらいです と娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おお そしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった──
戦争がはじまってた。
祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた。
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律儀な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が仲良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いに デモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
──久しぶりに街へ出て と私は云った。
  ニシンソバでも喰ってこようか。
──ニシンは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。

天野忠
「夫婦の肖像」所収
1983

鳥が

鳥が
空を見上げるように
花が つぼみを ほどく

鳥が
羽ばたこうとするように
花が 葉をしげらせる

鳥が
飛びたつように
花が 咲きそめる

鳥が
歌うように
花が におう

そして
人は ことばで
鳥のように飛び
花のように咲く

川崎洋
食物小屋」所収
1980

遊園地

化物屋敷から子供たちの叫び声が聞こえる
海賊船が子供たちを乗せて
左右に大きく揺さ振りついに直立する
高い空の中で全速力のコースターが連続二回宙返り
子供たちが今にもバラバラ落ちて来そうだ
遊園地の子供たちよ
力一杯声を出して恐がるがいい
やがて大人になると
眼に見えない妖怪が何処からか現われて
声が出ないほどに立ち竦んでしまうのだから

上林猷夫
「遺跡になる町」所収
1982

胸の泉に

かかわらなければ
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
  子は親とかかわり
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も
  かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ 
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも

かかわらなければ路傍の人
    私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない

塔和子
未知なる知者よ」所収
1988

部屋

私が入ってきたとき、中は真暗でした。
手をのばして探りながら歩いてきたら、お皿に(たぶんお皿に)ぶつかってしまったんです。
で、私はお皿のことを思い出しました。
お皿は丸くて(あるいはギザギザで)、冷たく(固く)、たぶん空っぽで、ぶつかった指の先から、すぐ離れました。
あのとき小さな音がしましたから。たぶん暗闇の中を、ゆっくりと辷っていったのだと思います。
それから、すぐテーブルのことを思ったんです。
テーブルは四角くて(あるいは正方形で)、灰色で(砂色をして)、私の手の下にあり、たぶんずっと以前からそこにあったのではないでしょうか。
それはザラザラなのにどこか濡れていて、どこまでも広がっているようでどこからか辷り落ちており、例のお皿がどうなったかなどということは、もう見当もつきませんでした。それから、急に、部屋が感じられました。それを考えるのは、とてもむづかしいことのようでした。
 だって部屋ほど曖昧なものって、あります?
階段のてすりや、本箱があることもあれば、どこかの隅に肖像画がかかっていることもあり、何十年も前の絵の具の間に、そっと入りこんでいる闇だってあるのです。
でも、何もない部屋っていうのも、あります。
部屋って、本当は何にもないんです。ただのいれものなんです。でも私にはただのいれものが、何故か空気のように優しく思われました。
ひょっとしたら、私はいつか、ここに来たことがあるのではないでしょうか。一度、二度、いいえ何度でも。もちろん遠い私の記憶にもけっしてないことなのですけれど。
部屋は矩形で(あるいは多角形で)、まっすぐで(曲っていて)、凹んでいるか尖っており、閉じているか開いており、そうです、この闇と同じ形、同じ深さ、私の周りにある黙った闇と同じ呼吸をしているのでした。そして私はといえば、やっぱりこの漠然とした闇と同じ呼吸をしているのに、ちがいありません。
ただ闇の中で。じっと息をつめて立止っていると、どこかでお皿が静かに止っている気配が、ふっと、するんです。

黒部節子
「まぼろし戸」所収
1986

しかられた神さま

ずっと ずっと むかしから
北海道に住んでいたアイヌの人たちは
いろりの火のそばでも 家のなかでも
川でも 野でも 森でも 狩りのときでも
いつも神さまといっしょだったって
その姿は見えないけれど
いつも神さまといっしょだったって
だから たとえばさ
夜 川の水をくむときは
まず水の神さまの名前を呼んで
神さまを起してから くんだんだって
神さまも夫婦で住んでいるから
お二人の名前を呼んだんだって
でもさ
子どもが川におぼれたりすると
ちゃんと見張っていなかったからだと
水の神さまは いくら神さまでも
人間からしかられたんだって

川崎洋
しかられた神さま」所収
1981

さくらの はなびら

えだを はなれて
ひとひら

さくらの はなびらが
じめんに たどりついた

いま おわったのだ
そして はじまったのだ
 
ひとつの ことが
さくらに とって
 
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
 
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
 
かけがえのない
ひとつの ことが

まど・みちお
くまさん」所収
1989

日々

小鳥がいて
黒猫の親子がいて
庭には犬がいて

夕方の買いものは
小鳥のための青菜と
猫のための小鯵と
犬のための肉と
それに
カレーライスを三杯もおかわりする
息子がいた
あのころの買い物籠の重かったこと!

いまは 籠も持たずに表通りに出て
パン一斤を求めて帰って来たりする

みんな時の向こうに流れ去ったのだ
パン一斤の軽さをかかえて
夕日の赤さに見とれている

高田敏子
薔薇の木」所収
1980

キツネうどんを売る男

うまいで やすいで
やすいで うまいで
うまいで あついで
あついで うまいで
エエ 100円!
ないか?
80円

男が自動販売機で買ったばかりのキツネうどんを 両
手に一つずつ持って叩き売りをやっていた

できたて あつあつ
うまいで やすいで
ないか 80円
エエ! 60円
60円やで これでもないか
買わんか おっさん

買うたばっかしのうどん
なんですぐ売る
ふしぎやろけど わけはいわん
わけはいわんが 一つだけ売る
やすいで うまいで 50円
ないか

30円まで値が下がっても 誰も買おうとしなかった

やすいで のびるで
のびるで うまいで
はやいもん勝ち
10円でどや?

買うた! しゃがれた声がかかって 黄色い顔したじい
さんが手に握りしめた10円玉を男に渡した 男とじいさ
ん 二人ならんで道端に腰をおろし キツネうどんを食
いはじめた。

家に帰り 痛む歯をおさえて考えていた なぜあの男は
キツネうどんを二つも買い 10円に値下げしてまでその
一つを売りたがっていたのだろう もしかしたら あの
男は売ることよりも 本当は誰でもいい誰かと 二人で
キツネうどんを食いたかったのじゃないだろうか

そうだとしたら──

   ×月×日 快晴
   今日もまた街角に立つ。
   ジジイ一人。10円で。七五歳くらい。
   病気のせいか、手が震えていた。
   二人でのびかかったうどんを食う。(何の話もせず)
   親知らずの痛み治らず 親殺しのような

黒瀬勝巳
「幻燈機のなかで」所収
1981

ほたる

ホタルは 青い流れ星
空から落ちた 流れ星
(だからホタルは)
もういちど空へかえろうと
あんなにはげしく とぶのです
けれども空は
(けれども空は)
あんまり高くて とどかない

ホタルは 青い流れ星
空から落ちた 流れ星
(だからホタルは)
水にうつった星かげを
あんなに 恋しがるのです
けれども水は
(けれども水は)
あんまり深くて もぐれない

そうしていまは
ホタルは 草の葉の涙
ホタルは 草の葉の涙

吉原幸子
「樹たち 猫たち こどもたち」所収
1986