Category archives: 1910 ─ 1919

殺戮の殿堂

人人よ心して歩み入れよ、
静かに湛へられた悲痛な魂の
夢を光を
かき擾すことなく魚のように歩めよ。
この遊就館のなかの砲弾の破片や
世界各國と日本とのあらゆる大砲や小銃、
鈍重にして残忍な微笑は
何物の手でも温めることも柔げることも出来ずに
その天性を時代より時代へ
場面より場面へ転転として血みどろに転び果てて、
さながら運命の洞窟に止まったやうに
疑然と動かずに居る。
私は又、古くからの名匠の鍛へた刀剣の数数や
見事な甲冑や敵の分捕品の他に、
明治の戦史が生んだ数多い将軍の肖像が
壁間に列んでいるのを見る。
遠い死の圏外から
彩色された美美しい軍服と厳しい顔は、
蛇のぬけ殻のやうに力なく飾られて光る。
私は又手足を失って皇后陛下から義手義足を賜はったといふ士卒の
小形の写真が無数に並んでいるのを見る、
その人人は今どうしている?
そして戦争はどんな影響をその家族に与へたらう?
ただ御國の為に戦へよ
命を鵠毛よりも軽しとせよ、と
ああ出征より戦場へ困苦へ・・・・・
そして故郷からの手紙、陣中の無聊、罪悪、
戦友の最後、敵陣の奪取、泥のやうな疲労・・・・・
それらの血と涙と歓喜との限りない経験の展開よ、埋没よ、
温かい家庭の団欒の、若い妻、老いた親、なつかしい兄弟姉妹と幼児、
私は此の士卒達の背景としてそれらを思ふ。
そして見ざる溜散弾も
轟きつつ空に吼えつつ何物をも弾ね飛ばした、
止みがたい人類の欲求の
永遠に血みどろに聞こえくる世界の勝ち鬨よ、硝煙の匂ひよ、
進軍喇叭よ、
おお殺戮の殿堂に
あらゆる傷つける魂は折りかさなりて、
静かな冬の日の空気は死のやうに澄んでいる
そして何事もない。

白鳥省吾
「大地の愛」所収
1919

序詩

思ひ出は首すぢの赤い蛍の
午後のおぼつかない触覚のやうに、
ふうわりと青みを帯びた
光るとも見えぬ光?

あるひはほのかな穀物の花か、
落穂ひろひの小唄か、
暖かい酒倉の南で
ひきむしる鳩の毛の白いほめき?

音色ならば笛の類、
蟾蜍の啼く
医師の薬のなつかしい晩、
薄らあかりに吹いているハーモニカ。

匂ならば天鵞絨、
骨牌の女王の眼、
道化たピエローの面の
なにかしらさみしい感じ。

放埓の日のやうにつらからず、
熱病のあかるい痛みもないやうで
それでゐて暮春のやうにやはらかい
思ひ出か、ただし、わが秋の中古伝説(レヂェンド)?

北原白秋
思ひ出」所収
1911

ランプ

野中にさみしい一けん家
あたりはもう薄暗く
つめたく
はるかに遠く
ぽつちりとランプをつけた
ぽつちりと點じたランプ
ああ
何といふ眞實なことだ
これだ
これだ
これは人間をまじめにする
わたしは一本の枯木のやうだ
一本の枯木のやうにこの烈風の中につつ立つて
ランプにむかへば自ら合さる手と手
其處にも人間がすんでゐるのだ
ああ何もかもくるしみからくる
ともすれば此の風で
ランプはきえさうになる
そうすると
私もランプと消えさうになる
かうして力を一つにしながら
ランプも私もおたがひに獨りぼつちだ

山村暮鳥
風は草木にささやいた」所収
1918

地面の底の病気の顔

地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ。

地面の底のくらやみに、
うらうら草の茎が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらがってゐる、
かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、
冬至のころの、
さびしい病気の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶるごとくに視え、
じつに、じつに、あはれふかげに視え。

地面の底のくらやみに、
さみしい病人の顔があらはれ。

萩原朔太郎
月に吠える」所収
1917

としよつた農夫は斯う言つた

あの頃からみればなにもかもがらりとかはつた
だがいつみてもいいのは
此のひろびろとした大空だけだぞい
わすれもしねえ
この大空にまん圓い月がでると
穀倉のうしろの暗い物蔭で
俺等はたのしい逢引をしたもんだ
そこで汝あみごもつたんだ
何をかくすべえ
穀倉がどんな事でも知つてらあ
さうして草も燒けるやうな炎天の麥畑で
われあ生み落とされたんだ
それもこれもみんな天道樣がご承知の上のこつた
おいらはいつもかうして貧乏だが
われは秣草をうんと喰らつた犢牛のやうに肥え太つてけつかる
犢牛のやうに強くなるこつた
うちの媼もまだほんの尼つちよだつた
その抱き馴れねえ膝の上で
われあよく寢くさつた
それをみるのが俺等はどんなにうれしかつたか
そして目がさめせえすれば
山犬のやうに吼えたてたもんだ
其處にはわれが目のさめるのを色色な玩具がまつてただ
なんだとわれあおもふ
そこのその大きな鍬だ
それから納屋にあるあの犁と
壁に懸つてゐるあの大鎌だ
さあこれからは汝の番だ
おいらが先祖代代のこの荒れた畑地を
われあそのいろんなおもちやで
立派に耕作つてくらさねばなんねえ
われあ大え男になつた
そこらの尼つ子がふりけえつてみるほどいい若衆になつた
おいらはそれを思ふとうれしくてなんねえ
しつかりやつてくれよ
もうおいらの役はすつかりすんだやうなもんだが
おいらはおいらの蒔きつけた種子がどんなに芽ぶくか
それが唯一つの氣がかりだ
それをみてからだ
それをみねえうちは誰がなんと言はうと
決して此の目をつぶるもんでねえだ

山村暮鳥
風は草木にささやいた」所収
1918

緑の焰

 私は最初に見る 賑やかに近づいて来る彼らを 緑の階段をいくつも降りて 其処を通つて あちらを向いて 狭いところに詰まつてゐる 途中少しづつかたまつて山になり動く時には麦の畑を光の波が畝になつて続く 森林地帯は濃い水液が溢れてかきまぜることが出来ない 髪の毛の短い落葉松 ていねいにペンキを塗る蝸牛 蜘蛛は霧のやうに電線を張つてゐる 総ては緑から深い緑へと廻転してゐる 彼らは食卓の上の牛乳瓶の中にゐる
 顔をつぶして身を屈めて映つてゐる 林檎のまはりを滑つてゐる 時々光線をさへぎる毎に砕けるやうに見える 街路では太陽の環の影がくぐつて遊んでゐる盲目の少女である。
 
 私はあわてて窓を閉ぢる 危険は私まで来てゐる 外では火災が起こつてゐる 美しく燃えてゐる緑の焰は地球の外側をめぐりながら高く拡がり そしてしまひには細い一本の地平線にちぢめられて消えてしまふ
 
 体重は私を離れ 忘却の穴へつれもどす ここでは人々が狂つてゐる 哀しむことも話しかけることも意味がない 眼は緑色に染まつてゐる 信じることが不確になり見ることは私をいらだたせる
 
 私を後ろから眼かくしをしてゐるのは誰か? 私を睡眠へ突き墜せ。

左川ちか
「左川ちか詩集」所収
1911

おそれ

いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない
一滴の水の微顫も
無益な千万の波動をつひやすのだ
水の静けさを貴んで
静寂の価を量らなければいけない

あなたは其のさきを私に話してはいけない
あなたの今言はうとしてゐる事は世の中の最大危険の一つだ
口から外へ出さなければいい
出せば則ち雷火である
あなたは女だ
男のやうだと言はれても矢張女だ
あの蒼黒い空に汗ばんでゐる円い月だ
世界を夢に導き、刹那を永遠に置きかへようとする月だ
それでいい、それでいい
その夢を現にかへし
永遠を刹那にふり戻してはいけない
その上
この澄みきつた水の中へ
そんなあぶないものを投げ込んではいけない

私の心の静寂は血で買つた宝である
あなたには解りやうのない血を犠牲にした宝である
この静寂は私の生命であり
この静寂は私の神である
しかも気むつかしい神である
夏の夜の食慾にさへも
尚ほ烈しい擾乱を惹き起すのである
あなたはその一点に手を触れようとするのか

いけない、いけない
あなたは静寂の価を量らなければいけない
さもなければ
非常な覚悟をしてかからなければいけない
その一個の石の起す波動は
あなたを襲つてあなたをその渦中に捲き込むかもしれない
百千倍の打撃をあなたに与へるかも知れない
あなたは女だ
これに堪へられるだけの力を作らなければならない
それが出来ようか
あなたは其のさきを私に話してはいけない
いけない、いけない

御覧なさい
煤烟と油じみの停車場も
今は此の月と少し暑くるしい靄との中に
何か偉大な美を包んでゐる宝蔵のやうに見えるではないか
あの青と赤とのシグナルの明りは
無言と送目との間に絶大な役目を果たし
はるかに月夜の情調に歌をあはせてゐる
私は今何かに囲まれてゐる
或る雰囲気に
或る不思議な調節を司る無形な力に
そして最も貴重な平衡を得てゐる
私の魂は永遠をおもひ
私の肉眼は万物に無限の価値を見る
しづかに、しづかに
私は今或る力に絶えず触れながら
言葉を忘れてゐる

いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない

高村光太郎
智恵子抄」所収
1912

海浜独唱

ひとりあつき涙をたれ
海のなぎさにうづくまる
なにゆゑの涙ぞ青さ波のむれ
よせきたりわが額をぬらす
みよや濡れたる砂にうつり出づ
わがみじめなる影をいだき去り
抱きさる波、波、哀しき波
このながき渚にあるはわれひとり
ああわれのみひとり
海の青きに流れ入るごとし

室生犀星
抒情小曲集」所収
1918

幻の家

料理人が青空を握る。四本の指あとがついて、次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。
たづねてくる空の看守。日光が駆け出すのを見る。
たれも住んでないからつぽの白い家。
人々の長い夢はこの家のまはりを幾重にもとりまいては花瓣のやうに衰へてゐた。
死が徐ろに私の指にすがりつく。夜の殻を一枚づつとつてゐる。
この家は遠い世界の遠い思ひ出へと華麗な道が続いてゐる。

左川ちか
「左川ちか詩集」所収
1911

蛇をながむるこころ蛇になる
ぎんいろの鋭き蛇になる
どくだみの花あをじろく
くされたる噴井の匂ひ蛇になる
君をおもへば君がゆび
するするすると蛇になる

室生犀星
抒情小曲集」所収
1918