病室の窓の
白いカーテンに
午後の陽がさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョークの字を
きれいに消して
リーダーを小脇に
午後の陽を肩さきに受けて
じゃ諸君と教室を出て行った
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃ諸君と言って
高見順
「死の淵より」所収
1964
みろ
太陽はいま世界のはてから上るところだ
此の朝霧の街と家家
此の朝あけの鋭い光線
まづ木木の梢のてつぺんからして
新鮮な意識をあたへる
みづみづしい空よ
からすがなき
すすめがなき
ひとびとはかつきりと目ざめ
おきいで
そして言ふ
お早う
お早うと
よろこびと力に満ちてはつきりと
おお此の言葉は生きてゐる!
何という美しいことばであらう
此の言葉の中に人間の純さはいまも残つてゐる
此の言葉より人間の一日ははじまる
山村暮鳥
「風は草木にささやいた」所収
1918
そこに太い根がある
これをわすれているからいけないのだ
腕のような枝をひっ裂き
葉っぱをふきちらし
頑丈な樹幹をへし曲げるような大風の時ですら
まっ暗な地べたの下で
ぐっと踏張っている根があると思えば何でもないのだ
それでいいのだ
そこに此の壮麗がある
樹木をみろ
大木をみろ
このどっしりとしたところはどうだ
山村暮鳥
「風は草木にささやいた」所収
1918
むろん理由はあるにはあつたがそれはとにかくとして
人々が僕を嫌ひ出したやうなので僕は温しく嫌はれてやるのである
嫌はれてやりながらもいくぶんははづかしいので
つい、僕は生きようかと思ひたつたのである
暖房屋になつたのである
万力台がある鐡管がある
吹鼓もあるチェントンもあるネヂ切り機械もある
重量ばかりの重なり合つた仕事場である
いよいよ僕は生きるのであらうか!
鐡管をかつぐと僕の中にはぷちぷち鳴る背骨がある
力を絞ると涙が出るのである
ヴィバーで鐡管にネヂを切るからであらうか
僕の心理のなかには慣性の法則がひそんでゐるかのやうに
なにもかもにネヂを切つてやりたくなるのである
目につく物はなんでも一度はかついでみたくなるのである
ついに僕は僕の軆重までもかついでしまつたのであらうか
夜を摑んで引つ張り寄せたいのである
そのねむりのなかへ軆重を放り出したいのである。
山之口貘
「思辨の苑」所収
1938
何も言うことはありません
よく生きなさい
つよく
つよく
そして働くことです
石工が石を割るように
左官が壁をぬるように
それでいい
手や足をうごかしなさい
しっかりと働きなさい
それが人間の美しさです
仕事はあなたにあなたの欲する一切のものを与えましょう
山村暮鳥
「風は草木にささやいた」所収
1918
泣くな、
驚ろくな、
わが馬よ。
私は蹄鉄屋。
私はお前の蹄から
生々しい煙をたてる、
私の仕事は残酷だろうか。
若い馬よ、
少年よ、
私はお前の爪に
真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。
そしてわたしは働き歌をうたいながら、
──辛抱しておくれ、
すぐその鉄は冷えて
お前の足のものになるだろう、
お前の爪の鎧になるだろう、
お前はもうどんな茨の上でも
石ころ路でも
どんどんと駆け廻れるだろうと──、
私はお前を慰めながら
トッテンカンと蹄鉄うち。
ああ、わが馬よ、
友達よ、
私の歌をよっく耳傾けてきいてくれ。
私の歌はぞんざいだろう、
私の歌は甘くないだろう、
お前の苦痛に答えるために、
私の歌は
苦しみの歌だ。
焼けた蹄鉄を
お前の生きた爪に
当てがった瞬間の煙のようにも、
私の歌は
灰色に立ち上がる歌だ。
強くなってくれよ、
私の友よ、
青年よ、
私の赤い焔を
君の四つ足は受け取れ、
そして君は、けわしい岩山を
その強い足をもって砕いてのぼれ、
トッテンカンの蹄鉄うち、
うたれるもの、うつもの、
お前と私とは兄弟だ、
共に同じ現実の苦しみにある。
小熊秀雄
「小熊秀雄詩集」所収
1935