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一つのメルヘン

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

中原中也
在りし日の歌」所収
1936

春と修羅 (mental sketch modified)

心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
  (正午の管楽よりもしげく
  琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
  (風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
 れいらうの天の海には
  聖玻璃の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素を吸へば
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげらふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
   (玉髄の雲がながれて
    どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥りくらむ天の椀から
     黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
     (気層いよいよすみわたり
      ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
  (かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN  しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
  (まことのことばはここになく
  修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
  (このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSEN  いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

宮沢賢治
春と修羅」所収
1922

氷上戯技

さあ行かう、あの七里四方の氷の上へ。
たたけばきいんと音のする
あのガラス張りの空気を破って、
隼よりもほそく研いだこの身を投げて、
飛ばう、
すべらう、
足をあげてきりきりと舞はう。
この世でおれに許された、たつた一つの快速力に、
鹿子まだらの朝日をつかまう、
東方の碧落を平手でうたう。
真一文字に風に乗つて、
もつと、もつと、もつと、もつと、
突きめくつて
見えなくならう。
見えないところで、ゆつくりと
氷上に大きな字を書かう。

高村光太郎
1925

除名

一枚の紙片がやってきて除名するという
何からおれの名を除くというのか
これほど何も持たないおれの
ひたひたと頰を叩かれておれは麻酔から醒めた
窓のしたを過ぎたデモより
点滴静注のしずくにリズムをきいた
殺された少女の屍体は遠く小さくなり
怒りはたえだえによみがえるが
おれは怒りを拒否した 拒否したのだ日常の生を
おれに残されたのは死を記録すること
医師や白衣の女を憎むこと
口のとがったガラスの容器でおれに水を呑ませるものから孤独になること しかし
期外収縮の心臓に耳をかたむけ
酸素ボンベを抱いて過去のアジ句に涙することではない
みずからの死をみつめられない目が
どうして巨きな滅亡を見られるものか
ひとおつふたあつと医師はさけんだが
無を数えることはできない だから
おれの声はやんでいった
ひたひたと頰を叩かれておれは麻酔から醒めた 別な生へ
パイナップルの罐詰をもって慰めにきた友よ
からまる輸血管や鼻翼呼吸におどろくな
おどろいているのはおれだ
おれにはきみが幽霊のように見える
きみの背後の世界は幽暗の国のようだ
同志は倒れぬとうたって慰めるな
おれはきみたちから孤独になるが
階級の底はふかく死者の民衆は数えきれない
一歩ふみこんで偽の連帯を断ちきれば
はじめておれの目に死と革命の映像が襲いかかってくる
その瞬時にいうことができる
みずからの死をみつめる目をもたない者らが
革命の組織に死をもたらす と
これは訣別であり始まりなのだ 生への
すると一枚の紙片がやってきて除名するという
何からおれの名を除くというのか
革命から? 生から?
おれはすでに名前で連帯しているのではない

黒田喜夫

1961

柿へのエレジー

──kaki、kakiという音の響きにうながされて。
それは「柿」であっても、「もの書き」のことであっても良かった。

柿はどうにもならぬ
柿は無礼である
柿は恥を知らぬ
柿は不穏である

柿は深夜ひそかに
柿の血の色を集めて
柿の身の芯の崩れる音を聞いている
鬱勃たる表情で

柿は許せぬ
柿に対しては協力できない
柿のでたらめさ
柿のような無知

柿から始まり
柿によって終る食事を
柿の実る頃
柿の樹の下でしたことがある

柿は爆じけるばかりに厚顔であって
柿は笑いを噛み殺していた
柿は陽の光を照り返し
柿は強情であった

柿が皮を剥かれるのは当然だ
柿が樹の上でいかに丸くあろうとしても
柿の一箇として球形のものはない
柿のしぶとさがそうさせる

柿が皮を剥かれて多面体であるとき
柿はなおかつ柿色をしており
柿は柿色である以外の
柿の色の名称を持たず

柿が口の中で割られるときの
柿の冷めたさは言うにおよばない
柿は肩をそびやかし
柿同士でぶつかる

柿の裏切りを見たことがある
柿は幾度となく裏切る
いとも簡単に柿は自分の意見を変える
熟したふりをして

柿は柿の上に落ちる
柿たることの心得として
柿は自らで法律を犯し
柿はそしらぬ顔でその形を崩す

柿のごとく愛し
柿のごとく憎み
柿のごとく功名心に富む者は
柿のごとく樹の枝に吊り下げよ

柿は柿同士のねたみとそねみによって
寒空に取り残され
一箇の練りものとして
特別の香りを放つだろう

柿は柿のうちに籠り
甘皮一枚を残して
柿の中の暗い膿を吐き出すだろう
その輝く沈黙の聖果として

佐々木幹郎
音みな光り」所収
1984

しやべり捲くれ

私は君に抗議しようといふのではない、
――私の詩が、おしやべりだと
いふことに就いてだ。
私は、いま幸福なのだ
舌が廻るといふことが!
沈黙が卑屈の一種だといふことを
私は、よつく知つてゐるし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならない事も知つてゐるから――。
私はしやべる、
若い詩人よ、君もしやべり捲くれ、
我々は、だまつてゐるものを
どんどん黙殺して行進していゝ、
気取つた詩人よ、
また見当ちがひの批評家よ、
私がおしやべりなら
君はなんだ――、
君は舌たらずではないか、
私は同じことを
二度繰り返すことを怖れる、
おしやべりとは、それを二度三度
四度と繰り返すことを云ふのだ、
私の詩は読者に何の強制する権利ももたない、
私は読者に素直に
うなづいて貰へればそれで
私の詩の仕事の目的は終つた、

私が誰のために調子づき――、
君が誰のために舌がもつれてゐるのか――、
若し君がプロレタリア階級のために
舌がもつれてゐるとすれば問題だ、
レーニンは、うまいことを云つた、
――集会で、だまつてゐる者、
 それは意見のない者だと思へ、と
誰も君の口を割つてまで
君に階級的な事柄を
しやべつて貰はうとするものはないだらう。
我々は、いま多忙なんだ、
――発言はありませんか
――それでは意見がないとみて
  決議をいたします、だ
同志よ、この調子で仕事をすゝめたらよい、
私は私の発言権の為めに、しやべる

読者よ、
薔薇は口をもたないから
匂ひをもつて君の鼻へ語る、
月は、口をもたないから
光りをもつて君の眼に語つてゐる、
ところで詩人は何をもつて語るべきか?
四人の女は、優に一人の男を
だまりこませる程に
仲間の力をもつて、しやべり捲くるものだ、
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しやべつたらよい、
仲間の結束をもつて、
仲間の力をもつて
敵を沈黙させるほどに
壮烈に――。

 

小熊秀雄

小熊秀雄詩集」所収

1935

紙の星

思ひ出すのは、
病院の、
すこし汚れた白い壁。

ながい夏の日、いちにちを、
眺め暮した白い壁。

小さい蜘蛛の巣、雨のしみ、
そして七つの紙の星。

星にかかれた七つの字、
メ、リ、ー、ク、リ、ス、マ、七つの字。

去年、その頃、その床に、
どんな子供がねかされて、
その夜の雪にさみしげに、
紙のお星を剪つたやら。

忘れられない、
病院の、
壁に煤けた、七つ星。

 

金子みすゞ

金子みすゞ童謡全集」所収

1930

クリスマスの夜

郊外の友だちの家でクリスマスのお祭りをしたかへり
まっ暗な廣い畑中の道を
大供小供うちまぜてひとかたまり一緒に歩いてゐる
わけもなくうれしく騒いだので今はみんな
少し疲れて黙りがちである。
小さい人達はおまけにねむさう
冬の夜の靄があたり一めんの黒い土によどみ
風の無いしんとした身籠もったやうな空には
ただ大きな星ばかりが匂やかにかすんで見える。
天の蝶々オリオンがもう高くあがり
地平のあたりにはアルデバランが冬の赤い信號を忘れずに出してゐる
森のむかうの空に東京の町の灯が
人なつこい暖かさに明るくうつる
とぎれとぎれに話しを為ながら
今夜の思出に顔を埋めながら
空をたよりに暗の夜路を
しづかに停車場に向つて行くパブリゴスの國のやからである

わたしはマントにくるまつて
冬の夜の郊外のつめたい空気に身うちを洗ひ
今日生まれたといふ人の事を心に描いて
思はず胸を張つてみぶるひした
──おう彼の誕生を心から喜び感謝するものがここにもゐる
この世に彼を思ふほど根源の力を與へられる事はない
湯にひたるやうな和ぎと滴る泉の望みとが心に溶け入る事はない
どんな時にも彼を思ひ出せば
萬軍の後楯があるやう
おのれの行く道をたより切つて行ける氣がする
こんなかはい想な今の世にも清らかな微笑が湧く
塵にうもれてゐる事さへ幸福をさとる
彼がゐたと思ふだけで魂は顔を赤めて生きいきして來る
彼はきびしいがまたやさしい
しののめのやうな女性のほのかな心がにほひ
およそ男らしい氣稟が聳える
どうしても離れがたい人
この世で一ばん大切な一つのものを一ばんむきに求めた人
人間の弱さを知りぬいてゐた人
しかも人間の强くなり得る道をはつきり知ってゐた人
彼は自分のからだでその道を示した
おう彼を思へば奮ひたつ
心が燃え
滿たされる
彼はじつさい天の火だ
おう彼の誕生を心から喜び感謝するものがここにもゐる

──彼の言葉はのっぴきならぬ内側から響いて來る
痛いところに皆觸れる
けれどやがて又やさしく人を抱き上げる
人に寛闊な自由と天眞とを得させる
おのれの生来に任せきる度胸とつつましさを得させる
俎のの上に平氣でねさせる
地面の中から萬物と聲を合わせて宇宙の歌をうたはせる
おのれをくじらかさないで
おのれを微妙に伸びさせる事を知るたのしさ
此は彼からわたしに來たやうだ
彼は今でもそこらにゐる
一ばん古くて一ばん新しい
いつでもまぶしいほど初めてだ
古さをおそれるものに新はない
社會の約束がどう変わつても
彼を知る人間は強いだろう
彼を知る事はおのれの生來を知る事だ。

──わたしもこの日本に生まれて人の心の糧にたづさはる人間だ
無駄なやうなしかし意味深いいろんな道を通つて來た
いろんな誘惑にあひながらも
おのれの生來はその度に洗はれた
おのれの役目は天然に露出して來た
今彼の事を思ふのは力である
どんな誘惑にもたちむかはう
誘惑からも取るものは取らう
さうして 此の土性骨を太らせよう
出來る事なら肉もつけよう
夏の日にあたつても平氣な土着の木にならう
薄ぐらい病的な美は心を惹くが別の世界だ
いぢけた九年母のやうになりたくない
ただ目ざすのは天上だ
おうそして飽くまでもこの泥にまみれた道を立たう
ひた押しにあの自然と寛政角力を取らう
窯変もののこじれた癖は辞退しよう
臭みを帯びた東洋趣味に堕するのも恐ろしい
すがれた味に澄み切るのもまだ私の柄でない
いかに不恰好らしくても
しんじつ光を吸つて靑天井の下に生きたいのだ
それが出來れば一つの美だ
人間の行く道には今でもこの世の十字架が待ってゐる
おうけれどそれを避けるものは死ぬ
私はただ招かれた一つの道を行かう
彼も歩いた道である
何といふ光榮
おう彼の誕生を心から喜び感謝するものがここにもゐる

暗の夜道を出はづれると
ぱっと明るい光がさしてもう停車場
急に年の暮じみた陽氣な町のざわめきが四方に起り
家へ歸つている事を考えている無邪氣な人たちの中へ
勢のいい電車がお伽話の國からいち早く割り込んで來た

高村光太郎

1947

山の歓喜

あらゆる山が歓んでゐる
あらゆる山がかたつてゐる
あらゆる山が足ぶみして舞ふ、踊る
あちらむく山と
こちらむく山と
合つたり
離れたり
出てくる山と
かくれる山と
低くなり
高くなり
家族のやうに親しい山と
他人のように疎い山と
遠くなり
近くなり
あらゆる山が
山の日に歓喜し
山の愛にうなづき
今や
山のかがやきは
空いつぱいにひろがつてゐる

河井酔茗
「弥生集」所収
1921

正午 丸ビル風景

ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立っている
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

中原中也

在りし日の歌」所収

1936