水の辺りに零れる
響ない真昼の樹魂。
物の思ひの降り注ぐ
はてしなさ。
充ちて消えゆく
もだしの応へ。
水のほとりに生もなく死もなく、
声ない歌、
書かれぬ詩、
いづれか美しからぬ自らがあらう?
たまたま過ぎる人の姿、獣のかげ、
それは皆遠くへ行くのだ。
色、
香、
光り、
永遠に続く中。
三富朽葉
「三富朽葉詩集」所収
1926
水の辺りに零れる
響ない真昼の樹魂。
物の思ひの降り注ぐ
はてしなさ。
充ちて消えゆく
もだしの応へ。
水のほとりに生もなく死もなく、
声ない歌、
書かれぬ詩、
いづれか美しからぬ自らがあらう?
たまたま過ぎる人の姿、獣のかげ、
それは皆遠くへ行くのだ。
色、
香、
光り、
永遠に続く中。
三富朽葉
「三富朽葉詩集」所収
1926
蹈み入つてはいけない!
ここは熟れて落ちた櫻の實で一杯だから・・・・・・
葉蔭は休息によかろう けれど
葉から すべりおりてくる毒矢をもつた野蠻人が
卿等のまどろみを 永遠に
魔法にかけやうから---
蹈み入つてはいけない!
その数多い赤黒い血球が 卿等を
ぬりつぶしてしまふから・・・・・・
卿等が 若し冒した罪の贖にくるのなら 卿等は路をとりちがえてゐる
ここは罪の阿修羅場だ
血腥い 屠牛場
蹈み入れてはいけない!
ほつかり虞美人草の花が 卿等を誘ふたにしても
生毛のやうな毛並から 囁かれる 悪魔の不思議な話に 惑がされても
美装した惰眠は濃霧の谷に
おまへらを陥入れやうから---
蹈み入つてはいけない!
おんみらはみるだらう
乳白色の瞳をもつた少女が
厚つぽい赤い唇に涎を垂れて
桜の木のもとを流れてゐる溝に
血を啜つてゐるところの---
蹈み入れてはいけない!
あの木蔭に卿等はきくのだろう
哀しい運命を預覚した牛の 傷ましい声を
うすら笑みを浮べて待つてゐる黒猫を
いくども喉に舌やつて 唇を
ぬらしてゐる少女の
佇んでゐる木蔭に---
高木斐瑳雄
「青い嵐」所収
1922
くちばしの 黄いろい
まつ黒い 鳥であつたつけ
ねちねち うすら白い どぶのうへに
籠のなかで ぎやうつ! とないてゐたつけ、
なにかしら ほそいほそいものが
ピンと すすり哭いてゐるような
そんな 真昼で あつたつけ
八木重吉
「秋の瞳」所収
1925
匿う水が、植木のしたに溜まっている
鈍器で殴りこんできた敵は火のなかで死んだ
洗われた傷を清潔なガーゼでおさえながら
病室で泣く人の傍らに座った
言葉よりもからだのほうが近く、
とじこめて、死後に語る、と約束をした
郷里の雪はタイヤの跡が茶色く、
少しも美しくはなかった
わたしたちのほうがまだ、と息をとめ、
片割れのからだが、さらに細切れの一人を零し、
睫のさきが重くなる
もう眠れ、とあなたは言った
それから、しずかな遺体をくるんだ
何かあったらすぐにおまえに
そう告げていた指先から一センチのところで
携帯も眠っていた
わたしも、植物を育てている
あの一センチの距離が、ただひとつのやさしさになるまで
この血のなかで、何度も語りつづける人よ
如雨露の蓮口を拒んで
水はいらないと、けだかく怒鳴る人よ
杉本真維子
「裾花」所収
2015
一
そのいきの臭えこと。
口からむんと蒸れる、
そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしていること。
虚無をおぼえるほどいやらしい、 おお、憂愁よ。
そのからだの土嚢のやうな
づづぐろいおもさ。かったるさ。
いん気な弾力。
かなしいゴム。
そのこころのおもひあがっていること。
凡庸なこと。
菊面。
おほきな陰嚢。
鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、
いつも、おいらは、反対の方角をおもってゐた。
やつらがむらがる雲のやうに横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画でみる
アラスカのやうに淋しかった。
二
そいつら。俗衆といふやつら。
ヴォルテールを国外に追ひ、フーゴー・グロチウスを獄にたたきこんだのは、
やつらなのだ。
バダビアから、リスボンまで、地球を、芥垢と、饒舌で
かきまはしているのもやつらなのだ。
くさめをするやつ。髭のあひだから歯くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人だとさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦だ。権妻だ。やつらの根性まで相続ぐ倅どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋党だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。
おしながされた海に、霙のやうな陽がふり濺いだ。
やつらのみあげる空の無限にそうていつも、金網があった。
…………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのふはやつらの旗日だった。
ひねもす、ぬかるみのなかで、砕氷船が氷をたたくのをきいた。
のべつにおじぎをしたり、ひれとひれをすりあはせ、どうたいを樽のやうにころがしたり、 そのいやしさ、空虚さばっかりで雑閙しながらやつらは、みるまに放尿の泡で、海水をにごしていった。
たがひの体温でぬくめあふ、零落のむれをはなれる寒さをいとうて、やつらはいたはりあふめつきをもとめ、 かぼそい声でよびかはした。
三
おお。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせたこの氷塊が 、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも気づかずにゐた。
みだりがはしい尾をひらいてよちよちと、
やつらは氷上を匍ひまわり、
……………文学などを語りあった。
うらがなしい暮色よ。
凍傷にただれた落日の掛軸よ!
だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、
反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むかうむきになってる
おっとせい。」
金子光晴
「鮫」所収
1937
僕はゐる さまざまの場所に
昔のままのやさしい手に
責められたり 抱かれたりしながら
僕はそこにもゐる
酸っぱいスカンポの茎のなかに
それを折るときのうつろな音のなかに
僕はそこにもゐる
柿若葉の下かげに
陽のあたる石の上に
トカゲみたいに臆病さうに
僕はそこにもゐる
ながれのほとりの草の上に
とらえそこねた幸福のやうに
魚の光る水の中に
僕はそこにもゐる
土蔵のかげ 桑の葉のかげに
アイヌ人みたいに
口のほとりに桑の実の汁の刺青をして
僕はそこにもゐる
小鳥が巣を編む樹の梢に
屋根の上に
略奪の眼を光らせて
僕はそこにもゐる
しその葉のいろのたそがれのなかに
とほくから草笛のきこえる道ばたに
人なつかしくネルの着物きて
ああ僕はそこにもゐる
井戸ばたのほのぐらいユスラウメの木の下に
人を憎んで
ナイフなんど砥いだりしながら
木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966
帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする
この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器のような副葬品を
大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである
古人は人生をうたかたのごとしと言った
川を行く舟がえがくみなわを
人生と見た昔の歌人もいた
はかなさを彼らは悲しみながら
口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない
私もこういう詩を書いて
はかない旅を楽しみたいのである
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「死の淵より」所収
1964