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小諸なる古城のほとり

  一

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む

  二

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水卷き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を靜かに思へ
百年もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ

島崎藤村
落梅集」所収
1901

詩を書こう詩を読もう楽しもう

 詩を書こう!と私はあなたに呼びかける。おもしろそう、書いてみようかな、あなたが思った途端、あなたはタモ(小型の掬い網)を持つ人になる。川が足元をさらさらと流れはじめる。あなたはタモを川に差し入れ持ち上げてみる。ほら、何か入っている。ゴミと一緒に小さなチラリと光るものが入っている。あなたはそれを広告の裏や、いらなくなった書類の裏に広げていく。自分という流れの中にこんなに沢山のものが流れていたなんて、とあなたはびっくりする。
 私も長い間詩を書くということを考えもせずに暮らしてきたので、タモに入っていたものを見てびっくりした。そして生まれてからずっと川は流れていたのに、掬ってみることをしなかったことに気づいた。
 詩はいい。掬って並べて、これが詩です、と本人が言えば間違いなくそれは詩だからだ。むずかしい約束ごとは何も無い。「その変なものを詩とは呼びません」などと文句をつける人はだれもいない。流れに立って一つ一つ大事に掬いあげていくたびに、自分というものが見えてくる気がする。それはちょっと楽しい。いくつかたまったら、清書してコピーしてリボンで綴じて友達にあげよう。私も友達からそんな詩集をもらった。それがとてもうれしかったので私も書いてみようと思った。書きはじめたのは四十六歳のころ。タモを持つようになって一人の時間を楽しめるようになった。だから詩はいいよ、詩を書こうよ、と私はあなたに呼びかける。

 詩を読もう!と私はあなたに呼びかける。二十一世紀は詩の時代ですよと強気で話を進めてみる。まずは若者に架空のインタビュー。
「うん、詩って難解だって言われてるみたいだけどそんなことないね。ヘンテコリンなのやゾクゾクするのやいろいろあるもんね。おもしろいよ。僕は今までマンガしか読まなかったんだけどね。詩ってほら、字がかたまっていて白いところがいっぱいあるでしょう、だからとてもいい。リュックの中にいつも一冊入ってるよ」
 ビルから出てきたサラリーマン風の人は、
「ええ、読みますよ。電車の中で読むのに丁度いいんです。自然を詠んだものが好きですね。ページを開くと、さああっと風が吹いてくるような詩。忙しさを忘れさせてくれますね。システム手帳と並んでカバンの中に入っていますよ、ほら」
 子供をだっこしたお母さんは、
「毎晩子供にせがまれて絵本を読んでいるんですよ。子供が寝てしまうと絵本を本棚にもどして棚の隅に置いてある詩集を取り出すんです。そして今度は自分のために詩を読むんです。美しい言葉がカサカサになった心に染み込んでいきます。一日の疲れがパアーっと取れて、私にとっては大事な大事な時間なんです」
 庭で花の手入れをしていた老夫婦は、
「ああ、詩、ね。毎日読んでいます。私達は目が覚めるのがどんどん早くなってきましてね。あまり朝早くからゴソゴソやるのはご近所迷惑かなと思いまして、五時頃目覚めてしまったら布団の中で詩を読むことにしたのです。小説は目が疲れますけどね。詩は大丈夫です。枕元にね、お気に入りの詩集を置いて寝てますよ。人生について静かに考えさせてくれるような詩が好きです。じっくり何度も読み返していますよ」
 ・・・・・とこんなふうに皆が詩を読むようになったらどんなにいいか。いろいろな絵やいろいろな音楽があるように、いろいろな詩がある。いろいろないい詩がたくさんある。あっ私この詩好きだな、というものにきっと出会える。図書館に行って、本屋に出かけて、詩とのいい出会いをしてほしい。学校に通う子がいたら教科書を見せてもらうのもいい。へえ、今はこんな詩が載っているのかと、新しい詩に出会えるかもしれない。あれ、これは私の頃にもあったぞと、なつかしい詩と再会するかもしれない。
 私が中学、高校の時、詩は現代国語の教科書の一番はじめに出ていた。

 小諸なる古城のほとり
 雲白く遊子悲しむ

 島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」を子供の教科書で見つけた時、教室の窓から見た淡い色の空が広がった。あの頃の風が吹いてきた。冬の寒さから解き放たれた体と、新学期の始まりの張りつめた心が、新しい教科書の匂いと混ざっていたっけ・・・・・。
 詩とのいい出会いをしてください。
 私はあなたに呼びかける。
 詩を書こう詩を読もう楽しもうよ。

山崎るり子
「月間百科」2001年5月号初出
山崎るり子詩集」所収
2001

赤いわらぞうり

祖母は
わらぞうりをあんでいた。
足の間に
ぼんぐりとよばれる
小さなあんかをはさみこみ
黒いカクマキで
それをおおい
ぎっちり ぎっちり
指さきをかたくして
わらぞうりをあんでいた。

そのころ、
きのうも
きょうも
雪はだまって
降りつづいていた。
きのうも
きょうも
祖母はだまって
わらぞうりをあみつづけていた。
祖母がだまって
あみつづけるかぎり
ぼくは
三日にいっぺんずつ
わらをうたねばならなかった。
祖母は
二枚のむしろと一わのわらを
ひきずるようにして土間にはこんでくる。
ぼくは木づちをもってきて
そこにすわる。
大きな声で
でたらめな歌をうたいながら
トントンとわらをうつ。

ときには
祖母もわきにすわって古い歌をうたったりした。
ぼくの木づちは
とぼとぼとした
祖母の歌の調子に
トントンとよく合った。

しなしなとして
やわらかくなった
わらをおさえて
祖母は
もういい
という。
そのわらをかかえて立ちあがりながら
ことしのわらは いいわらだ
という。
そして さらに
わらのできのいいときゃ
もみのできゃわるいしのう
といったりする。

祖母は
わらぞうりの一足一足に
みんなおなじ
くすんだ赤いはなおをつけた。
ときおり
指をおっては
むねでなにかをかぞえていた。
そしてまた
だまってあみつづけた。

ある日、
祖母は
ぼくをよんだ。
物おきいっぱいに
赤いはなおのわらぞうりが
ならんでいた。
みんなで九十八足あるといい
たのむでのう、村じゅう一けん一足ずつ
くばってきておくれやのう
という。
おら おばばが あんだで
春になったら はいておくれやのう
そういって くばっておくれやのう
という。

それから
幾日かの間。
ぼくは赤いわらぞうりを
しまのふろしきにつつんで
くばり歩いた。
雪のもかもか
ふる中を
しなしなとした
わらぞうりのつつみをせおって歩くと
ほかほかと
からだじゅうがあったまって
祖母を
小さな祖母を
せおっているような気がした。

近いしんるいへは
その家族の数だけ
くばるようになっていた。
遠く家をはなれた
むすこや孫たちには
荷ふだをつけて
小包にして送った。

家の者には
祖母がじぶんで
一足ずつ
くばってくれた。
父は、
おばばのぞうりは はきぐあいええで
こてらんねえぞ
シンもシノも
おばばのぞうりはえて
でっかくなったで
いまごろ ぞうりだいて
子どものころのこと
おもいだしておるにな
といった。

祖母は
さいごの一足を
カクマキにつつみ
じぶんのために
のこしておいた。

春。
祖母は死んだ。
むすこや孫や
村の人たちが
いそいでかけつけてきた。
なかには
赤いはなおのわらぞうりを
つっかけてきた者もいた。

野辺おくりの日。
この村では
わらぞうりをはくのが
ならわしであった。
じゃんぽん
じゃんぽん
そろいの赤いわらぞうりをはいた
九十七人の行列がつづいた。
火葬場にきて
人びとはみな
赤いわらぞうりをぬいだ。
わらぞうりは
棺のまわりにつまれた。
はだしになった人びとは
ただいつまでも
もえあがる火を
その赤い火を
じっとみつめて立っていた。

高橋忠治
かんじきの歌」所収
1962

もみじ

秋の夕日に 照る山紅葉
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓や蔦は
山のふもとの 裾模様

渓の流れに 散り浮く紅葉
波に揺られて 離れて寄って
赤や黄色の 色さまざまに
水の上にも 織る錦

高野辰之
尋常小学唱歌として発表
1911

くらし

食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかつた。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばつている
にんじんのしつぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。

石垣りん
表札など」所収
1968

表札

自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。

自分の寝泊りする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。

旅館に泊まつても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場の鑵にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私はこばめるか?

様も
殿も
付いてはいけない、

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。

石垣りん
表札など」所収
1968

甘やかされてゐる新進作家

いゝ加減怖ろしい現実に
さらに輪をかけろ
亭主の義務を放擲して小説をつくれ
まあ五百枚の小説を毎晩抱いて寝るさ、
一篇の詩を書くために
一家五人が一ケ月飢ゑるもよからう
トウ、トウ、タラリ、トウ、タラリ、トウ
烏帽子姿の三番叟は
批評家の介添つきで
新進の舞台に現はれるのはいつの日か、
いつたい何人の、
これこそ日本に於けるパンフェロフなりが、
これまで何人現はれたか、
出足が早くて
逃げ足の早いはこの国の作家なり、
大家の推薦、
批評家の保証のなんと
クレヂットの短いことよ
読者の期待がすぐ失望に変つてゆく、
農村調査を口実に
ふるさとへの帰心
矢のごとき作家幾たりぞ、
いやぢやありませんか、
文学は男子一生の仕事なりや否やと
うたがひだすとは
疑ひだすのは小説を書き始めて
からでは手遅れだ、
悪いことはいはない
文学を始める前に疑ひ給へ、
そして作家になるか、
それともさつさと鞄を抱へて
保険の外交員にでもなりたまへ、
マージャンをやるやうな具合には
文学はやれないのだから
こといやしくも
プロレタリヤ作家を名乗る以上、
性根をすえて首の座に坐り給へ、
君の後ろには介錯人がついてゐる、
紫電一閃、
君の作品の良し悪しを
きりすてるものは
ひとへに八百長批評でもなければ
ジャナリズムでもない
首切人は民衆そのものだらう、
可哀さうに甘やかされた新進作家よ
ゼラチンのいつぱいつまつたやうな頭で
つくりあげる君の作品は
所詮イデオロギーといふ
貞操帯をもたない君の作品は
読者に読まれるためではなく
姦淫されるために作つてゐるのだ。

小熊秀雄
新版・小熊秀雄全集」所収
1935

つくだ煮の小魚

ある日 雨の晴れまに
竹の皮に包んだつくだ煮が
水たまりにこぼれ落ちた
つくだ煮の小魚達は
その一ぴき一ぴきを見てみれば
目を大きく見開いて
環になつて互にからみあつてゐる
鰭も尻尾も折れてゐない
顎の呼吸するところには 色つやさへある
そして 水たまりの底に放たれたが
あめ色の小魚達は
互に生きて返らなんだ

井伏鱒二
厄除け詩集」所収
1937

ながい夜

眼を見ひらいたまま
暗い水の底から浮びあがるように
ゆめからさめる
ガラス窓に
木枯しが鳴っている
また眠り、べつのゆめを
みる ふたたび目ざめ
時計をのぞく

毎晩
おなじことだ
遠いゆめと
近いゆめの記憶が重なり
すこしたつて、闇のなかで
ぼくの来し方行く末が
散らばつた骨のように白々と見えてくる

もうだれも
ぼくのセーターの匂いを
かがないであろう
夜の台所にぶらさがっている
まないたや包丁のように
ぼくの未来はあるであろう
明るい朝のあいさつは
つぶやきのように消えてしまった
無を打ちくだくことばは
青いインクで書かれなかった
あしたもまた
ハンカチを忘れて家を出るであろう
力を入れて引き抜いた草が
泥のついた根ごと
机の上に置かれてあるであろう
ぼくは愛した
恐れた
ぼくは恐れるであろう
ぼくは机の上の草を見ているであろう

時計をのぞく
毛布をひきあげて
顔をかくす
腕を伸ばして両脇につけ
垂直に
暗い水の底に沈んでゆく姿勢をとる
目をつむる              

北村太郎
冬の当直」所収
1972

             冬の庭、
うごかない黒々とした杉や檜のうえに
黒い空がある。おびただしい
星はひとつずつ燃えながら凍りついているけれど、わたしのまわりは
すべてが死んでしまっているようだ。
すこし靴をうごかすと、枯れた草がポキポキと折れて
深い沈黙の骨にひびく。

           けさ、この庭に、
あたたかい陽が、一秒を永遠のときに
縮めながら、そそいでいた。
霜で固められた土の表面は、処女の
汗よりもきよらかに濡れていた。そして
そのとき、わたしは見た、
いっぴきのカマキリが
地に倒れた枯れ草のあいだから、ゆっくりと
這いだして、石のうえに休んでいるのを、藁のこげくさい七月に
ちいさな虫たちを苦しめた前脚を、冬のひかりのなかに
錆びついた剃刀の刃のように持てあましているのを。その翅は
落葉の音をたてて剥がれそうにみえた。

                  黒い空に
燃えている星は、どのベッドからも
窓からも近いところにある。
しかし、この庭に
立っているわたしからは最も遠い。
わたしは慄えながら靴をうごかし、ころがっている空壜に
すべり、また星を見つめる。
杉や檜のうえに、わたしの心の
ラジウムが、すこしずつ死と沈黙の
つめたさを運んでゆく。そこに
限りない日没と朝の
墓がある。わたしの靴の
しずかに止まるところがある。塵の
車輪にひかれてゆく無数のカマキリの
死骸がある。あの黒い空に
ためいきと、喜びのちいさな叫び声の
林がひろがっている。
いつでも、どこでもひとりでいる
わたしは、だれにも見えない。凍りながら燃えている
星からも見えない。ただ
わたしは慄えながら、待っている、
沈黙に聴きいり、黒い空を見つめている、
冬の庭で。

北村太郎
北村太郎詩集」所収
1966