Category archives: Chronology

蒸し暑い或る日
浜松町駅のプラットホームに佇んでいると
おびただしい雁の群れが
目の前を覆った、
私は今までに
街の中で
雁が
こんなにも低く飛ぶのを
見たことがない
泳ぐように突き出した長い首や
うしろに延しやった黄色い脚さえ
見えたのだ、
見たことがないのは
低く飛ぶ雁ばかりではない
これらの雁の乱れ方だ
あまりにも乱れていた、
一群れが
すすんで行くかと見ると
一群れはそれとは逆に飛んでいる
その中間で戸迷っている群れがある
といった塩梅だ、
しかもその一群れ一群れが
それぞれ
まるで雁行の形を成していないのだ
ずっと遅れて
あとから一羽二羽が
はぐれては大変だとばかり
あわてふためいていたのは
二、三にとどまらない
一体 何がどうしたというのだろう
この雁の乱れは
只ごとではないと思われた
わたしは
胸つまる思いで
乱れに乱れたおびただしい雁の群れを
見迎え見送っていた。

 一九四七年八月末のことである。
 この日から幾ばくもなくして、われわれはカスリーン台風に襲われたが、この台風とあの雁の乱れとは関係があるものかどうか、私には判らない。が、妙に気になることではある。

北川冬彦
1947

奴の背中には

奴の背中には
斜めに
タイヤの跡が黒々とついている
奴は口笛なんか吹いているが
奴の心は重いトラックのタイヤに
思いきり景気よくひかれたのだ
その証拠が陽気な口笛だ
あの気楽な足どりだ

ひかれた跡が背中に出ているのに
奴はそれに気づかない
だから奴は陽気なのだが
君は初めからすべて承知の上ひかれるがいい
君だっていっぺんひき殺されれば
奴のように陽気になれる
おれの女は
顔に斜めに
タイヤの跡をつけている

高見順
死の淵より」所収
1966

ひばりのす

ひばりのす
みつけた
まだたれも知らない
あそこだ
水車小屋のわき
しんりょうしょの赤い屋根のみえる
あのむぎばたけだ
小さいたまごが
五つならんでる
まだたれにもいわない

木下夕爾
児童詩集」所収
1955

処刑

処刑はなされなければならない。結論だけが先にやって来て、権力の発動はすぐさまそれに続いた。だが、誰がどのような理由で処刑されなければならないのか、それは国家権力の組織的事務処理の途中で失われてしまった。そうして今日も「処刑」とだけ書かれたビラが街中に撒かれ、軍隊は常駐し、人々は家の中にこもって処刑がなされるのを待っていた。許可なく家を出た者はすぐさま射殺されたし、誰が処刑されるのか、処刑の理由は何かを官憲に問い詰めたものもすぐさま射殺された。
とにかく、処刑はなされなければならない、対象と理由を詮索することはもはや固く禁じられ、ただ軍隊は処刑の準備を淡々と進めていった。宛名のない逮捕状、理由のない勾留状、囚人の名が載っていない死刑執行状、書類の作成はどんどん進められたが、論理的に処刑をすることは不可能だった。だが、処刑に異議を唱える者は次々と射殺され、ただ異様な緊張感が街をずっと覆い続けた。
ところが、あるとき、当局の最高権力者は気づいてしまった。もはや処刑は完了してしまった、と。つまり、今回の処刑の対象者は、処刑に異議を申し立てるすべてのものであり、処刑の理由は、処刑という国家権力の命令に公然と刃向ったということ、そういうことなのだ、と。実際、今回の処刑に関して射殺された者たちは皆この要件を満たしていた。
そこで最高権力者は最高会議で処刑が完了した旨発言した。すぐさま街を原状に復するように命じた。するとただちにほかの会議のメンバーは最高権力者を取り押さえ、有無を言わさず射殺した。処刑はまだ終わらないし、これからも終わらないだろう。処刑は誰も対象としないし、いかなる理由も持たない。街にはこれからも悲鳴が響き続ける。処刑はなされなければならない。

広田修
zero」所収
2015

桃の実

桃の実は人を裁くと言う
僕が試験に落ちたとき
確かに桃の実はわらっていた
お前本当は桃の実じゃないだろう
僕はそいつをもぎ取り
皮をむいてみた
白くて柔らかい果肉があった
食べてみたら甘かった
そこまで徹底して僕をだまそうというのか
桃の実の置かれた地点で
いくつもの曲線が交わっている
この曲線はあの日の僕の痛み
この曲線は誰かの失恋
この曲線は自動車の発明
僕は悲しくなって泣いた
だって無関係なものが
たくさん交わりすぎているじゃないか
これじゃ戦争みたいだ

桃の実が
収穫され 選別され 輸送され
店舗に並び 購入され 食べられる
その過程で描いた空間的な軌道を
つぶさに思い描く
広大な空間を貫く巨大なスケッチ
こんな作品が桃の実の数だけあるんだね

桃の実の
飛び立ちそうな重さ
輝きそうな影
滑り出しそうな摩擦
青を呼ぶ赤さ
これらの均衡を食べようとして
僕は桃の実を取り上げる
すると重さはあくまで重く
赤さはあくまで赤くなってしまい
おびただしい偏りに
僕は食欲をなくした

広田修
zero」所収
2015

小さな灯

人間というものは
なにか過ぎさつていくものではないか
対いあつていても
刻々に離れていることが感じられる
眼をつむると
遠い星のひかりのようになつかしい
その言葉も その微笑も
なぜかはるかな彼方からくる
二人は肩をならべて歩いている
だが明日はもうどちらかがこの世にいない
だれもかれも孤独のなかから出てきて
ひと知れず孤独のなかへ帰ってゆく
また一つ小さな灯が消えた
それをいま誰も知らない

嵯峨信之
魂の中の死」所収
1966

電車の窓の外は

電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙が出そうになる
団地のアパートのひとつひとつの窓に
ふりそそぐ暖い日さし楽しくさえずりながら
飛び交うスズメの群
光る風
喜ぶ川面
微笑のようなそのさざなみ
かなたの京浜工業地帯の
高い煙突から勢いよく立ちのぼるけむり
電車の窓から見えるこれらすべては
生命あるもののごとくに
生きている
力にみち
生命にかがやいて見える
線路脇の道を
足ばやに行く出勤の人たちよ
おはよう諸君
みんな元気で働いている
安心だ 君たちがいれば大丈夫だ
さようならあとを頼むぜ
じゃ元気で──

高見順
死の淵より」所収
1966

孤独の超特急

触れてくれるな、
さはつてくれるな、
静かにしてをいてくれ、
この世界一脆い
私といふ器物に、
批評もいらなければ
親切な介添もいらない、
やさしい忠告も
元気な煽動も、
すべてがいらない
のがれることのできない
夜がやつてきたとき
私は寝なければならないから、
そこまで私の夢を
よごしにやつて来てくれるな、
友よ、
あゝ、なんといふ人なつこい
世界に住んでゐながら、
君も僕も仲たがひをしたがるのだらう、
永遠につきさうもない
あらそひの中に
愛と憎しみの
ゴッタ返しの中に
唾を吐き吐き
人生の旅は
苦々しい路連れです、

生きることが
こんなに貧しく
こんなに忙しいこととは
お腹の中の
私は想像もしなかつたです。
友よ、
産れてきてみれば斯くの通りです、
ただ精神のウブ毛が
僕も君もまだとれてゐない、
子供のやうに
愛すべき正義をもつてゐる、
精神は純朴であれと叫び
生活は不純であれと叫ぶ、
私は混線してますます
感情の赤いスパークを発す、
階級闘争の
君の閑日月の
日記を見たいものだ、
私の閑日月は
焦燥と苦闘の焔で走る、
孤独の超特急だ、
帰ることのできない、
単線にのつてゐる
もろい素焼の
ボイラーは破裂しさうだ。

小熊秀雄
小熊秀雄詩集」所収」
1935

夏帽子

昔わたしがその下で唇をかんだ一本の木があった

その木をゆすると夏帽子に音たてて

雨のやうに桃色のをしべが落ちてきた

いまはその木は刈り倒されて

夏帽子にトマトを盛って

泣きなき帰ってきた子供はもうみえない

ひこばえにも花なんか咲かない

中嶋康博
中嶋康博詩集」所収
1988

音楽

窓辺の冷たい硝子壜

清水をみたして聴き耳をたててみる

明るい水底のレンズに集まるのは

八分音符のふしぎなプランクトンです

中嶋康博
中嶋康博詩集」所収
1988