ひとりあつき涙をたれ
海のなぎさにうづくまる
なにゆゑの涙ぞ青さ波のむれ
よせきたりわが額をぬらす
みよや濡れたる砂にうつり出づ
わがみじめなる影をいだき去り
抱きさる波、波、哀しき波
このながき渚にあるはわれひとり
ああわれのみひとり
海の青きに流れ入るごとし
室生犀星
「抒情小曲集」所収
1918
俺の放つ矢を見よ。
第一のはしくぢつた、
第二の矢もしくぢつた、
第三の矢もまたしくじつた。
第四、第五の矢もしくじつた
だが笑ふな。
いつまでもしくぢつて許りはゐない。
今度こそ、
今度こそと
十年余り
毎日、毎日
矢を射つた。
まだ本物ではないにしろ
たまにはあたりだした
見よ
今度の大きな矢こそ
人類の心の真たゞなかを
射あてゝみせる
そしてぬけない矢を
俺の放つ矢を見よ。
武者小路実篤
武者小路実篤全集第11巻「詩千八百」所収
1976
義眼の中にダイアモンドを入れて貰ったとて、何になろう。苔の生えた肋骨に勲章を懸けたとて、それが何になろう。
腸詰をぶら下げた巨大な頭を粉砕しなければならぬ。腸詰をぶら下げた巨大な頭は粉砕しなければならぬ。
その骨灰を掌の上でタンポポのように吹き飛ばすのは、いつの日であろう。
北川冬彦
「戦争」所収
1929
料理人が青空を握る。四本の指あとがついて、次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。
たづねてくる空の看守。日光が駆け出すのを見る。
たれも住んでないからつぽの白い家。
人々の長い夢はこの家のまはりを幾重にもとりまいては花瓣のやうに衰へてゐた。
死が徐ろに私の指にすがりつく。夜の殻を一枚づつとつてゐる。
この家は遠い世界の遠い思ひ出へと華麗な道が続いてゐる。
左川ちか
「左川ちか詩集」所収
1911
かぜよ、
松林をぬけてくる 五月の風よ、
うすみどりの風よ、
そよかぜよ、そよかぜよ、ねむりの風よ、
わたしの髪を なよなよとする風よ、
わたしの手を わたしの足を
そして夢におぼれるわたしの心を
みづいろの ひかりのなかに 覚まさせる風よ、
かなしみとさびしさを
ひとつひとつに消してゆく風よ、
やはらかい うまれたばかりの銀色の風よ、
かぜよ、かぜよ、
かろくうづまく さやさやとした海辺の風よ、
風はおまへの手のやうに しろく つめたく
薔薇の花びらのかげのやうに ふくよかに
ゆれてゐる ゆれてゐる、
わたしの あはいまどろみのうへに。
大手拓次
「藍色の蟇」所収
1936
ひしやげた屋根の下に暮らす俺達の心は
みんなひねくれなものだよ
この灰色の六畳間を
俺はあつちから! こつちへ
何回同じことを繰り返したことであらう
見ろ
こんなに成つてしまつた
さゝくれ立つたすり切れた
じめじめと陰鬱の涙のこもつた
薄汚ない古畳を
その部屋の真ん中に
『望み』といふ碌でもない屑綿を
どつさり詰め込んだ
向ふ見ずの乱暴者の
煎餅蒲団の反撥を
じつと尻の下に押さへつける仕事もあんまり
楽な仕事ではない
傷だらけの机の上の
偽善者の出しや張屋の
真鍮の豆時計と一日にらみあひ
俺の頭の髪に一本でも白髪の多くなりますやうに
一日も早く地球が冷却して行きますやうに
この善人が速に地獄に墜ちますやうに
俺はお祈りして居るのだ……
小熊秀雄
「小熊秀雄全集2初期詩篇」所収
1940