Category archives: Chronology

おかあさんが死んだあとで

おかあさん
おかあさんが死んだあとで・・・・

私は海でころんでしまって
きり石でひどいけがして
大きな針でぬったのよ

もみじの樹が大きくなって
私の背よりもたかくてよ

青い模様のお皿はたくさんこわれてよ
夜がきても朝がきても
ばあやはあいさつしなくてよ

おかあさん
おかあさんが死んだあとで・・・・

山本沖子
「花の木の椅子」所収
1947

薄明

C Am7 F Em7

屈強な夜が
明るかった
それはひよわくもあった、いいえ
脆弱な朝の首を
ぐいぐい絞め上げている、
だから。

酒のような雨が降る
僕らの 否、

の、
フラスコの胃
は、この酒のような雨を拒否する、
二日酔いで、
なんてことがあったらいいのに。
みんな騒いで銃を乱射するような。
悪い者しかいなくなって、
善いがなくなってだから悪いが反吐が出る位上等に普通になる。
というかなっている。音楽が止まった。嗚呼、僕は酒が飲めない。
祭りの日を、
楽しく待っているのは甘酒が飲めるから。
キリキリと胃痛がとまらない、ついに胃痛にディストーションが掛かる、母親がペダルを踏んだ、どこに買い出しにいくんだろう?

友達は東京で音楽していて
最近メジャーからインディーレーベルへ落ちてしまった。
彼らとの意思疎通
それはいつだって落とし穴だった。
東京で落とし穴に落ちたのは僕だった。

・・・・・・・なんもやってねぇよ、なんもやってねぇよ、なんもやってねぇよ

シンナーの香り。告白している受付嬢。オレンジシャンプーの香り。そんな記憶と
神なんとか駅近く、客にボコボコにされていくローソンのレジ係と
アップ&ダウン、アップ&ダウン、やっぱりフィッシュマンズのナイトクルージング(名曲!)と
酔ってダウンした友人の喉に指を突っ込んで丸のみされてた椎茸を取り出したこと、
フィード・バック、ケツの穴、ポリバケツ、ペットボトルの甘味料への不満、
ポコンと酒玉が胸から抜けて良い気分になって乗ってたタクシーは代々木で。
反対に最低のタクシードライバー。
訴え損ねたもんだ、
訴え方を知らなかった・・・・・・。
熟考するベーシスト、そして自由ヶ丘のバーのホームシックな外人、ジョン!

生きるものは今でも生きている、死ぬものは死んでしまった。
水タバコをやってたひと、水死体になったひと、歌がうまいひと、もう先はないと震えてた。

お前がのぞむなら、世界をやるけれど
世界をもらって、何も変わるまい

なんでって知っている筈だろう、どれだけの死と、屈託のない笑顔をみてきた、
それからどれだけ詩を書いてきた。しかし言葉は尽きない!
ねぇ、ちょっとだけコーヒーを頂戴。それから五百円を頂戴。
領収書を書いて頂戴。そうだった、税理士にあったことすらない。
脳、が
ねつ造できないあの東京を
倶楽部を、僕は薄明と呼ぼう。
薄命とかかっている。

田中恭平
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

さくらの はなびら

えだを はなれて
ひとひら

さくらの はなびらが
じめんに たどりついた

いま おわったのだ
そして はじまったのだ
 
ひとつの ことが
さくらに とって
 
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
 
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
 
かけがえのない
ひとつの ことが

まど・みちお
くまさん」所収
1989

日々

小鳥がいて
黒猫の親子がいて
庭には犬がいて

夕方の買いものは
小鳥のための青菜と
猫のための小鯵と
犬のための肉と
それに
カレーライスを三杯もおかわりする
息子がいた
あのころの買い物籠の重かったこと!

いまは 籠も持たずに表通りに出て
パン一斤を求めて帰って来たりする

みんな時の向こうに流れ去ったのだ
パン一斤の軽さをかかえて
夕日の赤さに見とれている

高田敏子
薔薇の木」所収
1980

鳥よ
おまえは
羽があるために
そのことで戸惑うことは
ないか?
ないだろうな
だから
羽があるのだろうな

川崎洋
海を思わないとき」所収
1978

むじゅん

 とほいゆきやまがゆふひにあかくそまる
きよいかはぎしのどのいしにもののとりがぢつととまつて
をさなごがふたりすんだそぷらのでうたつてゐる
わたしはまもなくしんでゆくのに
せかいがこんなにうつくしくては こまる

とほいよぞらにしゆうまつのはなびがさく
やはらかいこどもののどにいしのはへんがつきささる
くろいうみにくろいゆきがふる
わたしはまもなくしんでゆくのに
みらいがうつくしくなくては こまる!

吉原幸子
「発光」所収
1995

かりん

砂場を掘ると小さな移植ごて(イショク)が浅い地底にすこんと降りる、それはほとんどあっという間のできごとでした。けれどもいま鋤簾(ジョレン)をかけているこの砂地の底はまだ先のようで、だれかにそっと声をかけられ思い出したように日が落ちる刻(とき)、早くてもその時刻まできっと底はこないのです、夜も、朝も、あせばみも、かじかみも。壁面に光る火山灰層(スコリア)をいとおしめば、いいわけが綻びに積もる砂を崩れさせ、風が吹いて埋もれるのです。うえから籠に入った黄色い球体がばら撒かれては割れ、先んじて砂が擦れて呻きます。土の壁なら眼を凝らし、細かな違いを見つけ、爪で線を引いて層の境界を露にしてゆきましょう。明らかな流れがそこにはあって、同じことがおそらくはそのひとたちのなかでも起こっているのです。黒い層、赤茶けた層、光を含む層、そして果林を抱いたことのある層、漂白を嘆いた層・・・・。現在(いま)こうして同じ現代(とき)に合流して何を考えているのか知る由もありません。伝わるすべも持ちません。爪のなかに入った土たちは水道水に洗われてどこかへと消える運命です。風は吹かなくても土埃は絶えず、目のなかに耳のなかに積もりますが、それをうれしいと思えるようになりましょう。目を潰されて暗いことを言祝ぎましょう。砂たちは泣きます。かすれた喉から絞り雲壌を嘆くこともなくそれが務めとばかりに。少しの力が加われば壁が崩れて埋まるに違いありません。そのときを待ちながら夜のなか、六連星が登場するころにはこの地底の平衡は失われ、ひたすらな眩暈、石細胞だらけの果実の呪い。凍みの大地、苦渋の熱、ふさがって鼻腔は働きを免れ、耳孔は泰然自若としてひるまず、一寸だけでも唇がうごく隙には、なにをつぶやくのがふさわしいのでしょうね。土が砂が去ったあとも残る壁をみつめ、石くれた手指で実らぬものをさがします。いまはこうしているしかないから。

紺野とも
海峡よおやすみなさい」所収
2016

砂塵を浴びながら

松毬で作られた
雌鳥と雛のコレクションを置いて
その男は、去つて了つた。

女性とは、雌鳥に過ぎない
卵を孵化し、ひなを育てる
矮鶏のめすに過ぎない! と。

君よ、立止まれ
実に、松毬は母を想ふまい
だが、あなたは、あなたの母を念はないか。

私は、
さう! 雌鳥ほどにうつけ者だつた
男らの言ふことを、いつも本気で聞いてゐた
だが、信じる者と、偽る者と
何れが、真の不幸者であるかは宿題だ。

祈りを識る、めんどり
切な希ひを有つ、めんどり
いつも青空を凝視する
太陽を思ふ
恥を知る雌鳥は
砂塵を浴びながら、ものを念ふ。

英美子
「美子恋愛詩集」所収
1932

少年が沖にむかって呼んだ
「おーい」
まわりの子どもたちも
つぎつぎに呼んだ
「おーい」 「おーい」
そして
おとなも 「おーい」 と呼んだ

子どもたちは それだけで
とてもたのしそうだった
けれど おとなは
いつまでもじっと待っていた
海が
何かをこたえてくれるかのように

高田敏子
月曜日の詩集」所収
1962

一粒一粒がドン・キホーテなのだが
お互同志それを知らない

落日を完全武装ではねかえし
一せいに剣をぬきはなつている

ところがあいにく
劣勢な城主も不遇な王女も住んでいなかつた

野分の吹き荒れた朝

農夫が車を引いてくる

井上充子
「田舎の牧師」所収
1955