かりん

砂場を掘ると小さな移植ごて(イショク)が浅い地底にすこんと降りる、それはほとんどあっという間のできごとでした。けれどもいま鋤簾(ジョレン)をかけているこの砂地の底はまだ先のようで、だれかにそっと声をかけられ思い出したように日が落ちる刻(とき)、早くてもその時刻まできっと底はこないのです、夜も、朝も、あせばみも、かじかみも。壁面に光る火山灰層(スコリア)をいとおしめば、いいわけが綻びに積もる砂を崩れさせ、風が吹いて埋もれるのです。うえから籠に入った黄色い球体がばら撒かれては割れ、先んじて砂が擦れて呻きます。土の壁なら眼を凝らし、細かな違いを見つけ、爪で線を引いて層の境界を露にしてゆきましょう。明らかな流れがそこにはあって、同じことがおそらくはそのひとたちのなかでも起こっているのです。黒い層、赤茶けた層、光を含む層、そして果林を抱いたことのある層、漂白を嘆いた層・・・・。現在(いま)こうして同じ現代(とき)に合流して何を考えているのか知る由もありません。伝わるすべも持ちません。爪のなかに入った土たちは水道水に洗われてどこかへと消える運命です。風は吹かなくても土埃は絶えず、目のなかに耳のなかに積もりますが、それをうれしいと思えるようになりましょう。目を潰されて暗いことを言祝ぎましょう。砂たちは泣きます。かすれた喉から絞り雲壌を嘆くこともなくそれが務めとばかりに。少しの力が加われば壁が崩れて埋まるに違いありません。そのときを待ちながら夜のなか、六連星が登場するころにはこの地底の平衡は失われ、ひたすらな眩暈、石細胞だらけの果実の呪い。凍みの大地、苦渋の熱、ふさがって鼻腔は働きを免れ、耳孔は泰然自若としてひるまず、一寸だけでも唇がうごく隙には、なにをつぶやくのがふさわしいのでしょうね。土が砂が去ったあとも残る壁をみつめ、石くれた手指で実らぬものをさがします。いまはこうしているしかないから。

紺野とも
海峡よおやすみなさい」所収
2016

One comment on “かりん

  1. 「かりん」は紺野さんの許諾をいただいた上で掲載しております。無断転載はご遠慮ください。
    この作品を読んで興味を持たれた方は下記もどうぞ。
    この詩の掲載されている「海峡よおやすみなさい」は港の人より出版されているとても装丁の美しい本です。デザイナー西田優子さんのお仕事。是非一度ご覧になってください。

    紺野とも Home page
    https://konnotomo.jimdo.com/

    「海峡よおやすみなさい」の装丁
    http://yuransen.net/main/portfolio/%E6%B5%B7%E5%B3%A1%E3%82%88%E3%81%8A%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%95%E3%81%84/

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