入道雲にのって
夏休みはいってしまった
「サヨナラ」のかわりに
素晴らしい夕立をふりまいて
けさ 空はまっさお
木々の葉の一枚一枚が
あたらしい光とあいさつをかわしている
だがキミ!夏休みよ
もう一度 もどってこないかな
忘れものをとりにさ
迷い子のセミ
さびしそうな麦わら帽子
それから ぼくの耳に
くっついて離れない波の音
高田敏子
「月曜日の詩集」所収
1962
結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代わりにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し
お見合いだ お見合いだ とはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私は ふわふわと歩いた。
──ニシンそばでもたべませんか と私は云った。
──ニシンはきらいです と娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おお そしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった──
戦争がはじまってた。
祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた。
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律儀な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が仲良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いに デモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
──久しぶりに街へ出て と私は云った。
ニシンソバでも喰ってこようか。
──ニシンは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。
天野忠
「夫婦の肖像」所収
1983
化物屋敷から子供たちの叫び声が聞こえる
海賊船が子供たちを乗せて
左右に大きく揺さ振りついに直立する
高い空の中で全速力のコースターが連続二回宙返り
子供たちが今にもバラバラ落ちて来そうだ
遊園地の子供たちよ
力一杯声を出して恐がるがいい
やがて大人になると
眼に見えない妖怪が何処からか現われて
声が出ないほどに立ち竦んでしまうのだから
上林猷夫
「遺跡になる町」所収
1982
なにしろぼくの結婚なので
さうか結婚したのかさうか
結婚したのかさうか
さうかさうかとうなづきながら
向日葵みたいに咲いた眼がある
なにしろぼくの結婚なので
持参金はたんまり来たのかと
そこにひらいた厚い唇もある
なにしろぼくの結婚なので
いよいよ食へなくなったらそのときは別れるつもりで結婚したのかと
もはやのぞき見しに來た顔がある
なにしろぼくの結婚なので
女が傍にくつついてゐるうちは食へるわけだと云つたとか
そつぽを向いてにほつた人もある
なにしろぼくの結婚なので
食ふや食はずに咲いたのか
あちらこちらに咲きみだれた
がやがやがやがや
がやがやの
この世の杞憂の花々である
山之口貘
「山之口獏詩文集」所収
1963
摑む。
滑る。
砂煙があがる。
倒す。倒れる。
どよめく。
沸く。
燃える。
ギュッとくちびるを噛む。
苦しむ。焦る。つぶされる。
どこまでもくいさがる。
どこまでも追いあげる。
どこまでも向かってゆく。
波に乗る。拳を握る。
襲いかかる。陥れる。
踏みこむ。真っ二ツにする。
盗む。奪う。
刺す。
振りかぶる。構える。
投げおろす。打ちかえす。
叫ぶ。叫ぶ。
跳びつく。駈ける。
駈けぬける。
深く息を吸う。引き締める。
かぶりを振る。うなずく。
狙う。睨む。脅かす。
浴びせる。崩す。切りくずす。
むきだしにする。引きつる。
踏ンばる。
顔をあげる。腰を割る。
粘る。与える。ねじふせる。
投げる。
打つ。
飛ぶ。
走る。
見事に殺す。
なお生きる。生かしてしまう。
付けいる。
追いこむ。
突きはなす。
手をだす。
見逃す。
読む。選ぶ。
黙る。
黙らせる。目に物みせる。
意気地をみせる。思い切る。
叩く。突っこむ。死ぬ。
(動詞だ、
野球は。
すべて
動詞で書く
物語だ)
あらゆる動詞が息づいてくる。
一コの白いボールを追って
誰もが一人の少年になる
夏。
長田弘
「心の中にもっている問題」所収
1990
私が入ってきたとき、中は真暗でした。
手をのばして探りながら歩いてきたら、お皿に(たぶんお皿に)ぶつかってしまったんです。
で、私はお皿のことを思い出しました。
お皿は丸くて(あるいはギザギザで)、冷たく(固く)、たぶん空っぽで、ぶつかった指の先から、すぐ離れました。
あのとき小さな音がしましたから。たぶん暗闇の中を、ゆっくりと辷っていったのだと思います。
それから、すぐテーブルのことを思ったんです。
テーブルは四角くて(あるいは正方形で)、灰色で(砂色をして)、私の手の下にあり、たぶんずっと以前からそこにあったのではないでしょうか。
それはザラザラなのにどこか濡れていて、どこまでも広がっているようでどこからか辷り落ちており、例のお皿がどうなったかなどということは、もう見当もつきませんでした。それから、急に、部屋が感じられました。それを考えるのは、とてもむづかしいことのようでした。
だって部屋ほど曖昧なものって、あります?
階段のてすりや、本箱があることもあれば、どこかの隅に肖像画がかかっていることもあり、何十年も前の絵の具の間に、そっと入りこんでいる闇だってあるのです。
でも、何もない部屋っていうのも、あります。
部屋って、本当は何にもないんです。ただのいれものなんです。でも私にはただのいれものが、何故か空気のように優しく思われました。
ひょっとしたら、私はいつか、ここに来たことがあるのではないでしょうか。一度、二度、いいえ何度でも。もちろん遠い私の記憶にもけっしてないことなのですけれど。
部屋は矩形で(あるいは多角形で)、まっすぐで(曲っていて)、凹んでいるか尖っており、閉じているか開いており、そうです、この闇と同じ形、同じ深さ、私の周りにある黙った闇と同じ呼吸をしているのでした。そして私はといえば、やっぱりこの漠然とした闇と同じ呼吸をしているのに、ちがいありません。
ただ闇の中で。じっと息をつめて立止っていると、どこかでお皿が静かに止っている気配が、ふっと、するんです。
黒部節子
「まぼろし戸」所収
1986