Category archives: Chronology

亡き人に

雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く
枕頭のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く

朝風は人のやうに私の五体をめざまし
あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい

私は白いシイツをはねて腕をのばし
夏の朝日にあなたのほほゑみを迎へる

今日が何であるかをあなたはささやく
権威あるもののやうにあなたは立つ

私はあなたの子供となり
あなたは私のうら若い母となる

あなたはまだゐる其処にゐる
あなたは万物となつて私に満ちる

私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

高村光太郎
智恵子抄」所収
1939

団子や芋を食うので
妻はよく屁をひるなり
少しは遠慮もするならん
それでも出るならん
しかしぼくはつくづく
離縁がしたく思うなり

木山捷平
詩篇拾遺」所収
1947

駱駝の瘤にまたがつて

えたいのしれない駱駝の背中にゆさぶられて
おれは地球のむかふからやつてきた旅人だ
病気あがりの三日月が砂丘の上に落ちかかる
そんな天幕の間からおれはふらふらやつてきた仲間の一人だ
何といふ目あてもなしに
ふらふらそこらをうろついてきた育ちのわるい身なし児だ
ててなし児だ
合鍵つくりをふり出しに
抜き取り騙り掻払ひ樽ころがしまでやつてきた
おれの素姓はいつてみれば
幕あひなしのいつぽん道 影絵芝居のやうだつた
もとよりおれはそれだからこんな年まで行先なしの宿なしで
国籍不明の札つきだ
けれどもおれの思想なら
時には朝の雄鳥だ 時には正午の日まはりだ
また笛の音だ 噴水だ
おれの思想はにぎやかな祭のやうに華やかで派手で陽気で無鉄砲で
断っておく 哲学はかいもく無学だ
その代り駆引もある 曲もある 種も仕掛けも
覆面も 麻薬も 鑢も 匕首も 七つ道具はそろつてゐる
しんばり棒はない方で
いづれカルタの城だから 築くに早く崩れるに早い
月夜の晩の縄梯子
朝は手錠といふわけだ
いづこも楽な棲みかぢやない
東西南北 世界は一つさ
ああいやだ いやになつた
それがまたざまを見ろ 何を望みで吹くことか
からつ風の寒ぞらに無邪気ならつばを吹きながらおれはどこまでゆくのだらう
駱駝の瘤にまたがつて 貧しい毛布にくるまつて
かうしてはるばるやつてきた遠い地方の国々で
いつたいおれは何を見てきたことだらう
ああそのじぶんおれは元気な働き手で
いつもどこかの場末から顔を洗つて駆けつけて乗合馬車にとび乗つた
工場街ぢや幅ききで ハンマーだつて軽かつた
こざつぱりした菜つ葉服 眉間の疵も刺青もいつぱし伊達で通つたものだ
財布は骰ころ酒場のマノン・・・・
いきな小唄でかよつたが
ぞつこんおれは首つたけ惚れこむたちの性分だから
魔法使ひが灰にする水晶の煙のやうな 薔薇のやうなキッスもしたさ
それでも世間は寒かつた
何しろそこらの四辻は不景気風の吹きつさらし
石炭がらのごろごろする酸つぱいいんきな界隈だつた
あらうことか抜目のない 奴らは奴らではしつこい根曲り竹の臍曲り
そんな下界の天上で
星のとぶ 束の間は
無理もない若かつた
あとの祭はとにもあれ
間抜けな驢馬が夢を見た
ああいやだ いやにもなるさ
──それからずつと稼業は落ち目だ
煙突くぐり棟渡り 空巣狙ひも籠抜けも牛泥棒も腕がなまつた
気象がくじけた
かうなると不覚な話だ
思ふに無学のせゐだらう
今ぢやもうここらの国の大臣ほどの能もない
いつさいがつさいこんな始末だ
──さて諸君 まだ早い この人物を憐れむな
諸君の前でまたしてもかうして捕縄はうたれたが
幕は下りてもあとはある 毎度のへまだ騒ぐまい
喜劇は七幕 七転び 七面鳥にも主体性--けふ日のはやりでかう申す
おれにしたつてなんのまだ 料簡もある 覚えもある
とつくの昔その昔 すてた残りの誇りもある
今晩星のふるじぶん
諸君にだけはいつておかう
やくざな毛布にくるまつて
この人物はまたしても
世間の奴らがあてにする顰めつつらの掟づら 鉄の格子の間から
牢屋の窓からふらふらと
あばよさばよさよならよ
駱駝の瘤にまたがつて抜け出すくらゐの智慧はある
──さて新らしい朝がきて 第七幕の幕があく
さらばまたどこかで会はう・・・・

三好達治
駱駝の瘤にまたがつて」所収
1952

かなりあ

歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

西條八十
「赤い鳥」初出
1918

海で

今年の夏 ついこのあいだ
宮崎の海で 以下のことに出逢いました
浜辺で
若者が二人空びんに海の水を詰めているのです
何をしているのかと問うたらば
二人が云うに
ぼくらうまれて始めて海を見た
海は昼も夜も揺れているのは驚くべきことだ
だからこの海の水を
びんに入れて持ち帰り
盥にあけて
水が終日揺れるさまを眺めていようと思う
と云うのです
やがて いい土産ができた と
二人は口笛をふきながら
暮れかける浜から立ち去りました
夕食の折
ぼくは変に感激してその話を
宿の人に話したら
あなたもかつがれたのかね
あの二人は
近所の漁師の息子だよ
と云われたのです

川崎洋
海があるということは」所収
2004

タンポポ

わたしのタンポポは
とおいとおい
ひとかたまりの
「昔」のなかから咲く
いつのこととも
なにのこととも
もう皆目くべつできない
ただなにかしら甘ずっぱい
とろとろとなまあたたかい
「昔」のなかから咲く
少しずつ
だが着実に去っていく
わたしのなかの「昔」を
ひきとめようとするように
それはいつも あどけなく輝いて
それは永遠の子どものなりをして
とおいとおい
ひとかたまりの
もどかしいなつかしさとわびしさに
つつまれた「昔」のなかから
わたしのタンポポは
今年も咲いた

征矢泰子
「砂時計」所収
1976

石卵

小さい謎の卵を
わたしはこの草むらに隠す、
わたしは雪白の翼をひろげて
二度と戻らぬ蒼穹(おほぞら)へ往かう。

わたしの父も、おそらく
奇異な鵠であつたのであらう、
相模の農家に生まれた彼は
醜い家鴨であつたのかも知れない。

孵化し得ると信じてゐた、
昨日までは、固く、  
だが苦しみぬいたあげく、
朝の光で、これは石卵であつたのだ、

姉は薔薇を抱いて逝つた、
義弟は黒苺を啖つて死んだ、
わたしは廃屋の屋根裏で
ずゐぶん永くこの卵を抱いて歌つてゐた。

いよいよ、この卵を置きざりにして
空へ飛ぶわたしの姿を見ろ、
星の光が冴え、野菊が匂ふころ、
鵠は飛ぶぞ、流行歌ながれる巷のうへを、高く、遠く。

西條八十
西條八十詩集」所収
1970

くらげの唄

ゆられ、ゆられ
もまれもまれて
そのうちに、僕は
こんなに透きとほってきた。

だが、ゆられるのは、らくなことではないよ。

外からも透いてみえるだろ。ほら。
僕の消化器のなかには
毛の禿びた歯刷子が一本、
それに、黄ろい水が少量。

心なんてきたならしいものは
あるもんかい。いまごろまで。
はらわたもろとも
波がさらっていった。

僕? 僕とはね、
からっぽのことさ。
からっぽが波にゆられ
また、波にゆりかへされ。

しをれたのかとおもふと、
ふぢむらさきにひらき、
夜は、夜で
ランプをともし。

いや、ゆられてゐるのは、ほんたうは
からだを失くしたこころだけなんだ。
こころをつつんでゐた
うすいオブラートなのだ。

いやいや、こんなにからっぽになるまで
ゆられ、ゆられ
もまれ、もまれた苦しさの
疲れの影にすぎないのだ!

金子光晴
「人間の悲劇」所収
1952

曇天

遠くの停車場では
青いシルクハツトを被つた人達でいつぱいだ

晴れてはゐてもそのために
どこかしらごみごみしく
無口な人達ではあるがさはがしく
うす暗い停車場は
いつそう暗い

美くしい人達は
顔を見合せてゐるらしい

尾形亀之助
色ガラスの街」所収
1925

青えんぴつ

買ったばかりの
においさえも 青い
青えんぴつの つるつる ぴかぴか

てのひらで なでまわし
目をつぶって ほおずりし
空にかざし していると
まちきれないように
けずりはじめるのです
なにかが そよそよ そよそよと
ほそく ほそく
すずしく すずしく
あたしのからだの ほうまでも

ああ もう あたしは
青い海のなみを
すいすいと ぬってすすむ
ぎんのさかなの サヨリのよう

まど・みちお
まど・みちお詩集」所収
1989