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無題

むろん理由はあるにはあつたがそれはとにかくとして

人々が僕を嫌ひ出したやうなので僕は温しく嫌はれてやるのである

嫌はれてやりながらもいくぶんははづかしいので

つい、僕は生きようかと思ひたつたのである

暖房屋になつたのである

万力台がある鐡管がある

吹鼓もあるチェントンもあるネヂ切り機械もある

重量ばかりの重なり合つた仕事場である

いよいよ僕は生きるのであらうか!

鐡管をかつぐと僕の中にはぷちぷち鳴る背骨がある

力を絞ると涙が出るのである

ヴィバーで鐡管にネヂを切るからであらうか

僕の心理のなかには慣性の法則がひそんでゐるかのやうに

なにもかもにネヂを切つてやりたくなるのである

目につく物はなんでも一度はかついでみたくなるのである

ついに僕は僕の軆重までもかついでしまつたのであらうか

夜を摑んで引つ張り寄せたいのである

そのねむりのなかへ軆重を放り出したいのである。

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

妹へおくる手紙

なんといふ妹なんだらう

──兄さんはきつと成功なさると信じてゐます。とか

──兄さんはいま東京のどこにゐるのでせう。とか

ひとづてによこしたその音信のなかに

妹の眼をかんじながら

僕もまた、六、七年振りに手紙を書かうとはするのです

この兄さんは

成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思ふのです

そんなことは書けないのです

東京にゐて兄さんは犬のやうにものほしげな顔してゐます

そんなことも書かないのです

兄さんは、住所不定なのです

とはますます書けないのです

如実的な一切を書けなくなつて

とひつめられてゐるかのやうに身動きも出来なくなつてしまひ

 満身の力をこめて やつとのおもひで書いたのです

ミナゲンキカ

と、書いたのです。

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

 

喰人種

嚙つた

父を嚙つた

人々を嚙つた

友人達を嚙つた

親友を嚙つた

親友が絶交する

友人達が面会の拒絶をする

人々が見えなくなる

父はとほくぼんやり坐つてゐるんだらう

街の甍の彼方

うすぐもる旅愁をながめ

枯草にねそべつて

僕は

人情の嚙ざはりを反芻する。

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

現金

誰かが

女といふものは馬鹿であると言ひ振らしてゐたのである。

そんな馬鹿なことはないのである

ぼくは大反対である

諸手を挙げて反対である

居候なんかしてゐてもそればかりは大反対である

だから

女よ

だから女よ

こつそりこつちへ廻はつておいで

ぼくの女房になつてはくれまいか。

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

求婚の廣告

一日もはやく私は結婚したいのです

結婚さへすれば

私は人一倍生きてゐたくなるでせう

かやうに私は面白い男であると私もおもふのです

面白い男と面白く暮したくなつて

私ををつとにしたくなつて

せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか

さつさと来て呉れませんか女よ

見えもしない風を見てゐるかのやうに

どの女があなたであるかは知らないが

あなたを

私は待ち侘びてゐるのです

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

はらへたまつてゆく かなしみ

かなしみは しづかに たまつてくる

しみじみと そして なみなみと

たまりたまつてくる わたしの かなしみは

ひそかに だが つよく 透きとほつてゆく

 

こうしてわたしは痴人のごとく

さいげんもなく かなしみを たべてゐる

いづくへとても ゆくところもないゆえ

のこりなく かなしみは はらへたまつてゆく

 

八木重吉

秋の瞳」所収

1925

鳩が飛ぶ

あき空を はとが とぶ、

それでよい

それで いいのだ

 

八木重吉

秋の瞳」所収

1925

草に すわる

わたしの まちがひだつた

わたしのまちがひだつた

こうして 草にすわれば それがわかる

 

八木重吉

秋の瞳」所収

1925

白き響き

さく、と 食へば

さく、と くわるる この 林檎の 白き肉

なにゆえの このあわただしさぞ

そそくさとくひければ

わが鼻先きに ぬれし汁

 

ああ、りんごの 白きにくにただよふ

まさびしく 白きひびき

 

八木重吉

秋の瞳

1925

心よ

こころよ

では いっておいで

 

しかし

また もどつておいでね

 

やつぱり

ここが いいのだに

 

こころよ

では行つておいで

 

八木重吉

秋の瞳」所収

1925