黄色い翅

脈拍をおしはかりながら

心臓がゆっくりとはばたき始めた。

私が驚いた隙に心臓は脈を速め、

ひといきに舞い上がる。

振り仰げば、それは一匹の蝶の姿をしていた。

鱗粉をまとって黄色に輝く翅、

黒々と目立つ複眼。

口もとには細い管が端整なうずを巻いていた。

 

「十九年も一緒だったのに、自分の心臓が蝶とは気づかなかった」

蝶は羽ばたきの速度をゆるめ、私の鼻先で触角をかしげる。

血がみなぎっていたはずの左胸に手を当てると、

そこは冷たい空洞と化し、恐ろしいほどに寡黙だった。

まつげの奥から蝶を見つめて、まばたきで話をしたい。まばたきは、はばたきと同じで、よろこぶ翅の所作だから、蝶は私のまつげが気に入ったよう。

(蜜を口いっぱいに含みながら、わたしたちは花々をあとにする。わたしたちがいないとき、花は咲かない、咲いてはならない)

 

口先を研ぎ、蝶はしたたかに蜜を吸い上げる。

花から飛び立つごとに、その影を大きくして。

やがて蝶の航路が起伏を帯び、拍子をとりはじめる。

私の鼓動のしらべだろうか、

からだのそとで脈を奏でる蝶のかげが濃い。

左胸をひらいてみせると

蝶は待ちわびていたように身をひるがえし、

左胸へ舞い降りた。

蜜があたたかく染みわたれば

花の香に包まれて、唇がゆるむ。

鼓動と共に

私の口からことばがこぼれ出る。

 

内から響き始める拍動に

黄色い翅が舞い立ち、

連なっていく。

 

文月悠光

屋根よりも深々と」所収

2013

2 comments on “黄色い翅

  1. 「黄色い翅」は文月悠光さんの転載許可をいただいた上で掲載しております。
    この詩を見て興味を持たれた方は、是非下記のサイトもご覧になってください。
    本文中の詩集のタイトルは、アマゾンのページにLinkしています。

    公式サイト
    http://fuzukiyumi.com/

    案内板
    http://hudukiyumi.exblog.jp/21387042/

    ツイッターアカウント
    @luna_yumi

  2. 大雑把で恐縮ですが、
    自分が もし気を失ったり、夢の中だった時
    音もなく こんな光景を想像してみると、
    例えようもなく美しく… 貴石のような言葉ですね*

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください