Category archives: Chronology

頓死

夕暮の海岸
僕だけしかゐない
波打際の流木の上にテープレコーダーを置いて
僕は一服
A面には ある禅寺の勤行
太鼓と鐘と青年僧の読経
いま その裏側に 刻々 波音が記録されてゐることであらう
崩れる波
息をのみこむやうにしてふくれあがり
三段にも 四段にも 音たてて
レースのやうにひろがり 散らばってゐる
新月も見えはじめたが
夜陰ともなれば如何なることになるのか
「大統領の陰謀」によるとニクソンは
録音テープによつて自ら墓穴を掘つたといふ
僕には失ふべき何物もない
ひき返すうすい海水は斜めに流れ
上げ潮になつてゐるらしい
再生するのがたのしみだ
しかし その時
天地の秘事盗聴は不埒!!
流木の下の砂が削り去られてゐたのだ
流木が僅かに動き くるりとゆらぎ
流木の上のものが落ちた
塩水が入りこんで テープは止まり
ボタンも 蓋も びくともしない
駄目になつたのは 僕か
ああ テープレコーダー君

小山正孝
「山居乱信」所収
1986

ゴオルドラッシュ

とんでもない話が、
北から舞ひこんできただ、
お前さんグズグズするな、
そこいら辺にあるロクでもねいものは、
みんなほうり投げて出かけべい。
家にも、畑にも別れべい、
いまさら未練がましく
縁の下なんかのぞくでねいぞ。
どうせ不景気つづきで此処まで来ただ、
札束、縁の下に隠してあるわけなかべ。
餓鬼を学校さ、迎へに行つてこいよ、
授業中であらうが
かまふもんか引つぱつて来い。
若し先生が文句、云つたら
かまふもんかどやシつけて来い
――まだ授業料、収めねい餓鬼は手を挙げろ! と
 ぬかしくさつた
地主の下働き奴が
貧乏なわし等の餓鬼つかまへて
雀の子ぢや、あんめいし
今更チウでもコウでもねいもんだ。

さあ、餓鬼にもスコップ持たして
河の中、ホックリ返へさせるだに。
手といつたら猫の手でも借りたい
砂金掘りだに――。
わしの餓鬼をわしが連れて行くだに、
明日は村ぢうの餓鬼は一人も
学校さ、行かねいだらうと、云つて来い、
何をあわてて、カカア脚絆裏返しにはくだ。
わしも六十になつて
今更、山を七つも越して行き度くねいだが、
ヅングリ、ムックリ、ろくに口も利かねいで、
百姓は百姓らしくと思ひこんで、
あれもハイ、これもハイと、
お上の、おつしやる通り貧乏してきただ
山を七つ越せば、
キラキラ、金がみつかるとは――、
何たるこつちや、今時、冥利がつきる
やい、ウヌは何をぼんやり
気抜けのやうに立つてけつかる、
その繩を、こつちの袋に入れるだ。
唐鍬を入れたら砥石を忘れるなよ。

これ以上、貧乏する根気が無うなつたわい、
破れかぶれで、この爺が山越えする気持は、
村の衆の誰の気持とも同じだべ、
やあ、やあ、空がカッと明るくなつたわ、
未練がましい家へ火をつけた。
それもよかべ、度胸がきまるべ、
ついでに其の火の中へ
餓鬼を投りこんだら、尚更な――、
身軽になつたら
さあ、出かけべい村の衆。
明日はこの村には役場と駐在所だけが
ポツンと立つてゐべい、
村はみなガラあきになるべ、
やれ、威勢よく、石油鑵、誰が、ブッ敲くだ、
どんどん、タイマツつけて賑やかなこつた。
馬の野郎まで
行きがけの駄賃に、
馬小屋のハメ板ケッ飛ばしてゐるだ、
俺達も別れに、
役所の玄関に
ショウベン、じやあ/\やつて行くべよ。

何を、嫁はメソ/\泣いてゐるだ、
どうせ太鼓腹、
ツン出しては歩るきにくかべ、
腹の子、オリないやうに馬車の上に
うんとこさ、布団重ねて
乗つて行つたらよかべ。
――お天道さまと、生水とは
何処へ行つてもつきものだに。
河原に着いたら餓鬼共の、
頭、河に突込んで
腹、さけるほど水のませろ、
ヘド吐いたら、砂金飛び出すべよ。
せつぱつまつた村の衆の
七つの山越だに。
焼くものは、焼くだ、
ブッ潰すものは、ブッ潰し、
一つも未練残らねいやうにしろ。
生物といつたら
ひとつも忘れるでねいぞ、
村ひとつブッ潰し
砂金山へ出かけるだ、
行列、三町つづいて
たいまつ、マンドロだ、
牛もうもう、猫にやんにやん、
なんと賑やかなこつた、
山七つ越して
河床、ひつくりかへして
もし砂金なかつたら
また、山七つ越すべいよ
そこにも砂金なかつたら
また、山七つ越すべい
そこにも砂金なかつたら
また、山七つ越して町へ出べい、
町へ出たら、ズラリ行列
官庁の前にならべて皆舌べろりと
出したらよかべいよ、
歳がしらのわしが音頭とつたら
皆揃つて舌噛み切つて死ぬべ。

小熊秀雄
小熊秀雄詩集」所収
1935

はじめて会ったその人がだ
一杯を飲みほして
首をかしげて言った
あなたが詩人の貘さんですか
これはまったくおどろいた
詩から受ける感じの貘さんとは
似ても似つかない紳士じゃないですかと言った
ぼくはおもわず首をすくめたのだが
すぐに首をのばして言った
詩から受けるかんじのぼろ貘と
紳士に見えるこの貘と
どちらがほんものの貘なんでしょうかと言った
するとその人は首を起こして
さあそれはと口をひらいたのだが
首に故障のある人なのか
またその首をかしげるのだ

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1940

くずの花

ぢぢいと ばばあが
だまつて 湯にはひつてゐる
山の湯のくずの花
山の湯のくずの花

田中冬二
青い夜道」所収
1929

かわいそうな私の身体

かわいそうな私の身体
お前をみていると涙がこぼれてくる

やわらかい乳房と若さに輝いた肌はどこにいったのか
切りさかれ ぬわれ やかれたお前の無残な傷痕

ああ でも どうか私を許してほしい
お前の奥深く 今も痛みにふるえ
赤い血潮をふき出しながら
それでも もえようとしている
私の心がひそんでいるのだから

ブッシュ孝子
「白い木馬」所収
1974

緑の焰

 私は最初に見る 賑やかに近づいて来る彼らを 緑の階段をいくつも降りて 其処を通つて あちらを向いて 狭いところに詰まつてゐる 途中少しづつかたまつて山になり動く時には麦の畑を光の波が畝になつて続く 森林地帯は濃い水液が溢れてかきまぜることが出来ない 髪の毛の短い落葉松 ていねいにペンキを塗る蝸牛 蜘蛛は霧のやうに電線を張つてゐる 総ては緑から深い緑へと廻転してゐる 彼らは食卓の上の牛乳瓶の中にゐる
 顔をつぶして身を屈めて映つてゐる 林檎のまはりを滑つてゐる 時々光線をさへぎる毎に砕けるやうに見える 街路では太陽の環の影がくぐつて遊んでゐる盲目の少女である。
 
 私はあわてて窓を閉ぢる 危険は私まで来てゐる 外では火災が起こつてゐる 美しく燃えてゐる緑の焰は地球の外側をめぐりながら高く拡がり そしてしまひには細い一本の地平線にちぢめられて消えてしまふ
 
 体重は私を離れ 忘却の穴へつれもどす ここでは人々が狂つてゐる 哀しむことも話しかけることも意味がない 眼は緑色に染まつてゐる 信じることが不確になり見ることは私をいらだたせる
 
 私を後ろから眼かくしをしてゐるのは誰か? 私を睡眠へ突き墜せ。

左川ちか
「左川ちか詩集」所収
1911

鯛の復活

言葉で表現されたものは真実とは遠いものである
物事は表現され得るものではないからだ
その一瞬において 価値をあらしむるのだ

潮に侵入された部屋の中を鯛は暴れまわった       

そして部屋の外へ飛び出した
空間には外も内も有り得ない          

音もなく死の扉は開かれた
頭と顋を切断されて鯛はその生涯を椀の中で過した   
鯛の眼は汚れた人間の手を見据えていた
キリストの復活を真似て鯛はついに蘇った
どこからともなく喜びの歌がきこえる
潮は天井まで満ち溢れ吸物椀も漂流する
鯛は悠々と尾鰭をうごかして泳いでいた

高橋新吉
「海原」所収
1984

 槐の蔭の教へられた場所へ、私は草の上からぐさりと鶴嘴をたたきこんだ。それから、五分もすると、たやすく私は掘りあてた、私は土まみれの髑髏を掘り出したのである。私は池へ行つてそれを洗つた。私の不注意からできた顳顬の上の疵を、さつきの鶴嘴の手応へを私は後悔してゐた。部屋に帰つて、私はそれをベッドの下に置いた。

 午後、私は雉を射ちに谿へ行つた。還つて見ると、ベッドの脚に水が流れてゐた。私のとりあげた重い玩具の、まだ濡れてゐる眼窩や顳顬の疵に、小さな赤蟻がいそがしく見え隠れしてゐる、それは淡い褐色の、不思議に優雅な城のやうであつた。

 母から手紙が来た。私はそれに返事を書いた。

三好達治
測量船」所収
1930

おそれ

いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない
一滴の水の微顫も
無益な千万の波動をつひやすのだ
水の静けさを貴んで
静寂の価を量らなければいけない

あなたは其のさきを私に話してはいけない
あなたの今言はうとしてゐる事は世の中の最大危険の一つだ
口から外へ出さなければいい
出せば則ち雷火である
あなたは女だ
男のやうだと言はれても矢張女だ
あの蒼黒い空に汗ばんでゐる円い月だ
世界を夢に導き、刹那を永遠に置きかへようとする月だ
それでいい、それでいい
その夢を現にかへし
永遠を刹那にふり戻してはいけない
その上
この澄みきつた水の中へ
そんなあぶないものを投げ込んではいけない

私の心の静寂は血で買つた宝である
あなたには解りやうのない血を犠牲にした宝である
この静寂は私の生命であり
この静寂は私の神である
しかも気むつかしい神である
夏の夜の食慾にさへも
尚ほ烈しい擾乱を惹き起すのである
あなたはその一点に手を触れようとするのか

いけない、いけない
あなたは静寂の価を量らなければいけない
さもなければ
非常な覚悟をしてかからなければいけない
その一個の石の起す波動は
あなたを襲つてあなたをその渦中に捲き込むかもしれない
百千倍の打撃をあなたに与へるかも知れない
あなたは女だ
これに堪へられるだけの力を作らなければならない
それが出来ようか
あなたは其のさきを私に話してはいけない
いけない、いけない

御覧なさい
煤烟と油じみの停車場も
今は此の月と少し暑くるしい靄との中に
何か偉大な美を包んでゐる宝蔵のやうに見えるではないか
あの青と赤とのシグナルの明りは
無言と送目との間に絶大な役目を果たし
はるかに月夜の情調に歌をあはせてゐる
私は今何かに囲まれてゐる
或る雰囲気に
或る不思議な調節を司る無形な力に
そして最も貴重な平衡を得てゐる
私の魂は永遠をおもひ
私の肉眼は万物に無限の価値を見る
しづかに、しづかに
私は今或る力に絶えず触れながら
言葉を忘れてゐる

いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない

高村光太郎
智恵子抄」所収
1912

冬の日

或る荒れはてた季節
果てしない心の地平を
さまよい歩いて
さんざしの生垣をめぐらす村へ
迷いこんだ
乞食が犬を煮る焚火から
紫の雲がたなびいている
夏の終りに薔薇の歌を歌つた
男が心の破滅を歎いている
実をとるひよどりは語らない
この村でラムプをつけて勉強するのだ
「ミルトンのように勉強するんだ」と
大学総長らしい天使がささやく
だが梨のような花が藪に咲く頃まで
猟人や釣人と将棋をさしてしまつた
すべてを失つた今宵こそ
ささげたい
生垣をめぐり蝶とれる人のため
迷って来る魚狗と人間のため
はてしない女のため
この冬の日のため
高楼のような柄の長いコップに
さんざしの実と涙を入れて

西脇順三郎
「近代の寓話」所収
1953