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春望詞

風花日將老

佳期尚渺渺

不結同心人

空結同心草

 

薜濤

831

 

春のをとめ

 

しづ心なく散る花に

なげきぞ長きわが袂

情をつくす君をなみ

つむや愁ひのつくづくし

 

佐藤春夫

車塵集」所収

1929

秋刀魚の歌

あはれ

秋風よ

情あらば伝へてよ

──男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

思ひにふける と。

 

さんま、さんま

そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて

さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

そのならひをあやしみてなつかしみて女は

いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。

あはれ、人に捨てられんとする人妻と

妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、

愛うすき父を持ちし女の児は

小さき箸をあやつりなやみつつ

父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 

あはれ

秋風よ

汝こそは見つらめ

世のつねならぬかの団欒を。

いかに

秋風よ

いとせめて

証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

あはれ

秋風よ

情あらば伝へてよ、

夫を失はざりし妻と

父を失はざりし幼児とに伝へてよ

──男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

涙をながす と。

 

さんま、さんま

さんま苦いか塩つぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし

 

佐藤春夫

我が一九二二年」所収

1923

あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、

切つても切れない

むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山の山の上に

毎日出てゐる青い空が

智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。

 

高村光太郎

智恵子抄」所収

1941

 

おとなしくして居ると

花花が咲くのねって 桃子がいう

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

人形

ねころんでいたらば

うまのりになっていた桃子が

そっとせなかへ人形をのせていってしまった

うたをうたいながらあっちへいってしまった

そのささやかな人形のおもみがうれしくて

はらばいになったまま

胸をふくらませてみたりつぼめたりしていた

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

潮音

わきてながるゝ

やおじおの

そこにいざよう

うみの琴

しらべもふかし

もゝかわの

よろずのなみを

よびあつめ

ときみちくれば

うらゝかに

とおくきこゆる

はるのしおのね

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

白壁

たれかしるらん花ちかき

高楼われはのぼりゆき

みだれて熱きくるしみを

うつしいでけり白壁に

 

唾にしるせし文字なれば

ひとしれずこそ乾きけれ

あゝあゝ白き白壁に

わがうれいありなみだあり

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

千曲川旅情の歌

昨日またかくてありけり

今日もまたかくてありなん

この命なにを齷齪

明日をのみ思いわずらう

 

いくたびか栄枯の夢の

消え去る谷に下りて

河波のいざよう見れば

砂まじり水巻き帰る

 

嗚呼古城なにをか語り

岸の波なにをか答う

過し世を静かに思え

百年もきのうのごとし

 

千曲川柳霞みて

春浅く水流れたり

ただひとり岩をめぐりて

この岸に愁を繋ぐ

 

島崎藤村

落梅集」所収

1901

影絵

半欠けの日本の月の下を、

一寸法師の夫婦が急ぐ。

 

二人ながらに思ひつめたる前かがみ、

さてもくどくどしい二つの鼻のシルエツト。

 

生白い河岸をまだらに染め抜いた、

柳並木の影を踏んで

せかせかと──何に追はれる、

揃はぬがちのその足どりは?

 

手をひきあつた影の道化は

あれもうそこな遠見の橋の

黒い擬宝珠の下を通る。

冷飯草履の地を掃く音は

もはや聞こえぬ。

 

半欠の月は、今宵、柳との

逢引の時刻を忘れてゐる。

 

富永太郎

富永太郎詩集」所収

1922

 

マンネリズムの原因

子の親らが

産むならちやんと産むつもりで

産むぞ、といふやうに一言の意思を伝へる仕掛の機械

親の子らが生まれるのが嫌なら

嫌です、といふやうに一言の意見を伝える仕掛の機械

そんな機械が地球の上には欠けてゐる

うちみたところ

飛行機やマルキシズムの配置のあるあたり

 たしかに華やかではあるんだが

人類くさい文化なのである

遠慮のないところ

交接が、親子の間にものを言はせる仕掛になつてはゐないんだから

地球の上ではマンネリズムがもんどりうつてゐる

それみろ

生まれるんだから生きたり

生きるんだから産んだり

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938