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書斎の午後

われはこの国の女を好まず。

 

読みさしの舶来の本の

手ざはりあらき紙の上に、

あやまちてしたる葡萄酒

なかなかにみてゆかぬかなしみ。

 

われはこの国の女を好まず。

 

石川啄木

呼子と口笛」所収

1911

 

一日のはじめに於て

みろ

太陽はいま世界のはてから上るところだ

此の朝霧の街と家家

此の朝あけの鋭い光線

まづ木木の梢のてつぺんからして

新鮮な意識をあたへる

みづみづしい空よ

からすがなき

すすめがなき

ひとびとはかつきりと目ざめ

おきいで

そして言ふ

お早う

お早うと

よろこびと力に満ちてはつきりと

おお此の言葉は生きてゐる!

何という美しいことばであらう

此の言葉の中に人間の純さはいまも残つてゐる

此の言葉より人間の一日ははじまる

 

山村暮鳥

風は草木にささやいた」所収

1918

作品第一〇〇四番

今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです

ひるすぎてから

わたくしのうちのまはりを

巨きな重いあしおとが

幾度となく行きすぎました

わたくしはそのたびごとに

もう一年も返事を書かない

あなたがたづねて来たのだと

じぶんでじぶんに教へたのです

そしてまったく

それはあなたのまたわれわれの足音でした

なぜならそれは

いっぱい積んだ梢の雪が

地面の雪に落ちるのでしたから

 

宮沢賢治

1933

ひかる人

私をぬぐらせてしまひ

そこのところへひかるやうな人をたたせたい

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

母をおもふ

けしきが

あかるくなつてきた

母をつれて

てくてくあるきたくなつた

母はきつと

重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだらう

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

小作調停官

西暦一千九百三十一年の秋の

このすさまじき風景を

恐らく私は忘れることができないであらう

見給へ黒緑の鱗松や杉の森の間に

ぎっしりと気味の悪いほど

穂をだし粒をそろへた稲が

まだ油緑や橄欖緑や

あるひはむしろ藻のやうないろして

ぎらぎら白いそらのしたに

そよともうごかず湛えてゐる

そのうち潜むすさまじさ

すでに土用の七日には

南方の都市に行ってゐた画家たちや

ableなる楽師たち

次々郷里に帰ってきて

いつもの郷里の八月と

まるで違った緑の種類の豊富なことに愕いた

それはおとなしいひわいろから

豆いろ乃至うすいピンクをさへ含んだ

あらゆる緑のステージで

画家は曾って感じたこともない

ふしぎな緑に眼を愕かした

けれどもこれら緑のいろが

青いまんまで立ってゐる田や

その藁は家畜もよろこんで喰べるではあらうが

人の飢をみたすとは思はれぬ

その年の憂愁を感ずるのである

 

宮沢賢治

補遺詩篇」所収

1933

星めぐりの歌

あかいめだまの さそり

ひろげた鷲の  つばさ

あをいめだまの 小いぬ、

ひかりのへびの とぐろ。

 

オリオンは高く うたひ

つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは

さかなのくちの かたち。

 

大ぐまのあしを きたに

五つのばした  ところ。

小熊のひたいの うへは

そらのめぐりの めあて。

 

宮沢賢治

双子の星」所収

1918

われは草なり

われは草なり

伸びんとす

伸びられるとき

伸びんとす

伸びられぬ日は

伸びぬなり

伸びられる日は

伸びるなり

われは草なり

緑なり

全身すべて

緑なり

毎年かわらず

緑なり

緑の己に

あきぬなり

われは草なり

緑なり

緑の深きを

願うなり

 

あゝ 生きる日の

美しき

あゝ 生きる日の

楽しさよ

われは草なり

生きんとす

草のいのちを

生きんとす

 

高見順

重量喪失」所収

1967

無声慟哭

こんなにみんなにみまもられながら

おまへはまだここでくるしまなければならないか

ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ

また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ

わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき

おまへはじぶんにさだめられたみちを

ひとりさびしく往かうとするか

信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが

あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて

毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき

おまへはひとりどこへ行かうとするのだ

  (おら おかないふうしてらべ)

何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら

またわたくしのどんなちひさな表情も

けつして見遁さないやうにしながら

おまへはけなげに母に訊くのだ

  (うんにや ずゐぶん立派だぢやい

   けふはほんとに立派だぢやい)

ほんたうにさうだ

髪だつていつそうくろいし

まるでこどもの苹果の頬だ

どうかきれいな頬をして

あたらしく天にうまれてくれ

  《それでもからだくさえがべ?》

  《うんにや いつかう》

ほんたうにそんなことはない

かへつてここはなつののはらの

ちひさな白い花の匂でいつぱいだから

ただわたくしはそれをいま言へないのだ

   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)

わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは

わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ

ああそんなに

かなしく眼をそらしてはいけない

 

宮沢賢治

春と修羅」所収

1924

 

報告

さっき火事だとさわぎましたのは虹でございました

もう一時間もつづいてりんと張って居ります

 

宮沢賢治

春と修羅」所収

1924