盥の中でぴしやりとはねる音がする。

夜が更けると小刀の刃が冴える。

木を削るのは冬の夜の北風の為事である。

煖炉に入れる石炭が無くなつても、

鯰よ、

お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食ふか。

檜の木片は私の眷族、

智恵子は貧におどろかない。

鯰よ、

お前の鰭に剣があり、

お前の尻尾に触角があり、

お前の鰓に黒金の覆輪があり、

さうしてお前の楽天にそんな石頭があるといふのは、

何と面白い私の為事への挨拶であらう。

風が落ちて板の間に蘭の香ひがする。

智恵子は寝た。

私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、

研水を新しくして

更に鋭い明日の小刀を瀏瀏と研ぐ。

 

高村光太郎

智恵子抄」所収

1925

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