無題

屋根又屋根、眼界のとゞく限りを

すき間もなく埋めた屋根!

円い屋根、高い屋根、おしつぶされたやうな屋根、

おしつぶされつして、或ものは地にしがみつき、

或は空にぬき出ようとしてゐる屋根!

その上に忠実な教師の目のやうに、

秋の光がほかほかと照りわたつてゐる。

 

とらへやうもない、

然し乍ら魂の礎石までゆるがすやうな

あゝ、あの都会のとゞろき……

 

初めてこの都会に来て此景色を眺め

この物音をきいた時、

弱い田舎者の心はおびえた──

広さ、にではない、高さに、ではない、又

其処にいとなまるゝ文明の尊さにでもない、

あのはかりがたい物音の底の底の──

都会の底のふかさに。

 

今また此処に来て此景色を眺め、

そしてこの物音をきいて、

よわく、新らしい都会の帰化人の心はおびえる──

獅子かひが獅子の眠りに見入つた時の心もて、──

あのとらへがたき物音の底の底の──

入れども入れどもはかりがたき都会の底のふかさに。

 

すべての生徒の欲望をひとしなみにみる

忠実なる我が教師よ、

そなたはそなたの欲望と生徒の欲望を

またひとしなみに見るか?

 

花は精液の香をはなちて散り、

人は精力の汗を流して死ぬ。

それらは花と人との欲望のすべてか。

教師よ、そなたの愛は、――

雨とふり日とそゝぐそなたの愛は、

人の………

 

見よ、数へきれぬ煙突!

その下には死なうとする努力と死ぬまいとする欲望と……

あゝあの騒然たる物音! 

人間は住居の上に屋根を作つた。

その上に日が照る。

屋根は人間の最上の智慧 !!

又反抗、又運命である。

そして

その上に日が照る。

 

あゝ、我は帰らうか? はた帰るまいか?

あの屋根! 眼界のとゞく限りを

すき間もなく埋めた屋根の下へ。

 

石川啄木

心の姿の研究」所収

1909

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