おおきなまなざしの下 まぼろしの天体をゆく
ひかり充ちる半球
みどりの水は幾重にも岸を囲み
石のうえ 風は表層のリズムを刻みつづける
水藻吹く天地の揺らぎ
もえさかるくさいきれ
息急き切っておさない眼のひかりは境界をいそぐ
先端という先端
ゆびさきというゆびさきに吹くオレンジの火
あらゆる眼のなか
一点の傷もない青のたかみで自転する金の惑星
置き去られた静寂の庭の
記憶の半球に立って 声は<わがはじまりの名>を呼ぶ
「木よ」と
水盤はふたたびその天体の中心に置かれ
水音はおさない眼と耳のぴちぴちした葉群を蒼空にあずける
知っているのだろうか
世界という完全な球体は
一つの果実のなかにくりかえし実現され
またたくまにうしなわれてゆき
生の裏側でのみ
オレンジの枝はなお腕をのばし
憧れの球体は高くかがやく
完全な球体
なんの疑いもなく信じられた世界のうつくしすぎるまぼろし
生地の庭で
耳はそのにぎやかな空歌を聴き
足はそのまばゆい空虚を跨ぐ
おおきなまなざしの下で
金と砂の土地はくまなくそのあかるさに耐えている
新井豊美
「夜のくだもの」所収
1992