若い娘が
我が家の鉄の扉を叩き
神についての福音の書を読めという
勇気をふるい、私は素っ気なく答える
買っても読まないでしょうし
折角ですが──
微笑んだ娘のまっすぐな眼差しに会って
私のほうが眼を伏せる
申訳ないが──そう言って私は扉を閉じる
神を、私も知らぬわけではない
神をなつかしんでいるのは
娘さん、君より私のほうだ
けれど、どうして君は
こんな汚辱の世で
美しすぎる神を人に引合わせようというのだ
拒まれながら次々に戸を叩いてゆく
剛直な娘に
なぜか私は、腹立たしさを覚える
私なら
神を信じても
人に、神を信ぜよとは言わない
娘さん
どうして君は、微笑んで
世の中を、人を、まっすぐ見つめるのだ
ここは重い鉄の扉ばかりの団地だ
君は、どの扉へも
神をしのびこませることができなかったろう
君は、眼の前で
次々に閉じられる重い鉄の扉を
黙って見ていなければならなかったろう
娘さん、私は神が必要なのに
私は言った
買っても読まないでしょうと
吉野弘
「感傷旅行」所収
1971