どういうわけか、兎

どういうわけか その家には兎が飛びこんでくるのです どういうわけか 寝不足の赤い眼をして どういうわけか 入ってもいい? などと聞くのでした どういうわけか そう言われると つい家の中に入れてしまうのですが でもどういうわけか 兎は飼ってはいけないことになっているのです 国家が法律で禁止しているというわけではないのですが どういうわけか タブーなのです そこで彼はいや彼女はいやわたしなのかな その家に住んでいる人のことなのですが どういうわけか その人は兎の首をつかんで 戸棚に押しこめ錠をおろしてしまいます 決まりを守らないと 隣組のこわいおじさんがどなりこんでくるということもないし どういうわけか 警察に逮捕されたという話も聞きません その人は決まりさえなければ どういうわけか 兎と一緒に暮らしてもいいと思っているし かわいらしい兎なら どういうわけか 一緒に抱きあって寝てもいいとさえ思っているのですよ どういうわけか じっさい内緒の話なのですが あの素性の知れない十七歳の少女のうちにはどういうわけか 男をひきずりこむあやしげな焔が燃えていたのです その顔にはあどけないと言ってもいいような無垢と 研いだ爪を突き立てるような欲情が ちぐはぐに同居していて つまり 言語の学が言いますように ことばはどういうわけか 故郷をもたないでさすらう娼婦のようなものなんですね ですからどういうわけか 地下鉄上社駅の東側にある箱馬車に乗ると 窓から見えるプラタナスのみどりはあざやかですし 眼をつぶればどういうわけか 星空をゆく天馬にひかれて どんなことばとことばのあいだでも 自由に往来できますし一夜の契りを結ぶことも可能ですが 実は週に一度 わたしは箱馬車で五五〇円のカレーライスとコーヒーがセットになった軽食をとるのですが たとえばどうしても漢字でアイサイとは書けないんですね では豚の涙とかしわだらけの岩石とか書けるかと言いますと どういうわけか 美しく聡明で貞淑な奥さんと書いた戦後詩人もいるわけです どういうわけか 詩人なんて昔から飲んだくれが多くて 先に死ねばかならず アイサイに悪口を書かれますよ それが理由というわけでもないでしょうが結局 兎は夜が明ける前に 戸棚のなかに押しこまれてしまいました それというのも毛をすっかりむしりとられて痛々しい兎は どういうわけか まっすぐに立とうとせず 右へ右へと傾いていっちゃうんですね それでいてどういうわけか倒れそうになると急に反転してこんどは左に身体を折り曲げるのです まるで兎が自分の長身を利用して疑問符を描いているようでしたね その人は不安にかられて もうそれを見ていられなかったんです こうして その人の戸棚はどれも兎だらけなのですが どういうわけか 戸棚もどんどんふえてゆくんですね 閉じこめられた兎たちは あばれたり 腹が減って死にそう 助けて下さい と叫んでもよさそうですが どういうわけか どの戸棚も静かです ただしばらくすると 古い戸棚から順になにか大事なものの腐りだすようないやなにおいが流れだします どういうわけかその人は腐臭のする戸棚にかこまれて いまのいま 詩を書き終わったところです・・・・

北川透
「ポーはどこまで変れるか」所収
1988

2 comments on “どういうわけか、兎

  1. 「どういうわけか、兎」は北川透さんの許諾をいただいた上で掲載しております。
    無断転載はご遠慮ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください