どんなに哀切にあける朝でも
一房の葡萄のようなかがやきがある
どんなにむざんに昏れる夜でも
ひっそりと開眼してゆく怒りがある
それを信じて
ぼくはどこでもない場所に坐り込んでは
ひとりふるい器に新しい酒を注ぎ
傾く日のふかさについて
考える
踏みはずしてきた故郷の
ぬかるみで湯気をたてていた馬糞
杉の家に悪口のように吹き込む風の音や
おそろしい静寂を運んでくる
初雪の足音を告げる猟銃の遠い音・・・・
あの地はぼくの野生の童話だ
いつも凶悪な無意味さに目覚めていて
ことばの床を踏みぬいて
放心した若い両親が
にくしみさえも失って立ちつくしていたりした
つらくひえ込む雪の朝など
ぼくは洗面器のひかりに小さな両手をつきながら
錐のように考え込んだものだった
でも欲しかったものはただひとつ
書いてもつきぬノートの一束
そのたましいの余白
日々はただ
夢破れた父を眠らす山河の上で
ごうごうたる吹雪のように鳴ったのか
あゝ無数の紙片が闇の中に散ってゆく
教室の余白に描かれたさみしい漫画や
野火のような前線を走る記憶も
そしていまはあっけなく死にゆくひとびとの片がわで
咳をしたり
笑いあったり
うらぎりうらぎられる
意識の地下道ばかりを這っている
だから野の水をのみながら
勇気や狂気にちかいきよらかな脚韻に耳をすまし
<時>の奈落で浮沈しているのだが
それでなくてもときどきぼくは
底のないまっさおな目で
異様にあかるく
酔っぱらっているらしいんだ
清水昶
「夜の椅子」所収
1976