私の夜

別れるとき もう次の約束をしなくなった
〝さようなら〟 のあと
〝ではまたいつか〟 の言葉をそえるだけで
地下鉄の階段を 右と左に別れて降りていく
振り返る ということも もうないことを思って
私も振りむくことをやめている

夜になると この夏 日和佐の砂浜で見た
海亀の産卵の姿を思っている
四肢を砂に埋めて 見開いた目を空にむけて
長い苦しみの時間をかけて産み落とす卵は
いままで私の見たものの中で もっとも美しいものとして目に残り
薄紅色の 真珠色の
あたたかく やわらかく
私のてのひらの中に ちょうど包めそうな
光の珠は
ひとの姿を形づくる前の
宿ったばかりの ひとのいのちそのものと
同じに違いない

亀はその淡々しい 美しいいのちを砂に埋めて
自然の手にまかせたまま 星明かりの海に帰っていった

重く疲れた体を引きずり
波打ちぎわにたどりつくまでの長い時間も
亀は 振りむくことをしなかった
振りむくことを期待して 波間にかくれるまでを見送った私の感傷を
灯を消した床の中で 私は笑ってみる

動物も植物も 愛などという面倒な感情は不要なのだ
犬や猫 猿の生態に愛を認めるのも
人の感傷に過ぎないのではないか
彼らは 愛よりも生そのものを 見事に行動しているのだ

愛を断ち切ったり 紡いだり
それも至極個人的な感情の中での操作をくり返している日々に
何がある?

亀は 産卵の傷ましい疲労からとうに回復しているだろう
生み落とした卵のどれほどが生を全うして
海に帰って来るかを 思うこともなく
すべて自然のまま
海底に 心静かに 忠実に
生を呼吸しているだろう

〝またいつか〟 の言葉の意味の重さ 軽さ
そのどちらとも計りかねて 胸に手を置くと
私の生が忠実に 生を鼓動していることに気づく
私も 星明かりの海の 深みへと降りてゆく
私の夜

高田敏子
むらさきの花」所収
1976

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