檸檬

引き絞られた呼び声が
ひかりにとけて
アスファルトに堆積する
枯れていく夏のふるえる手
耳を聾され
汗がにじんで
握りしめたのは
檸檬

  *

おれ、瓶ビール飲んで
鯖の塩焼きと冷奴をつまんで
カウンターのなかの兄さんたちを眺めて
いたところ、ふいに
誰かに呼びとめられたような気がして
だけれども兄さん、水割りつくってるし
並んで座った男たちは無口
みな静かに夏の午後の
束の間の休息を味わっている
そうだ、いい午後だ
なんの心配もしなくていい
思って悠々と
煙草に火をつけた
そしたら

檸檬を握りしめて男
遠くからこっちを見ていた
蓬髪、破れた作務衣
自称陶芸家みたいな
あるいは田舎で十割蕎麦やってます
みたいな感じ
だけどその表情
その表情は無であった
まるでやせ細った樹木のように立って
檸檬ひとつ
優しく握りしめて
男、仁王立ちに立ってこっちを見ていた

瓶ビール
最後の一滴までグラスに注いで
もう一度見ると
もう男はいない
なんだったのだろうかと
考えてはみたもののわからない
けれどもなぜだかおれは
彼のことを知っているような気がして
忘れてはいけないことを忘れているような
妙な心持になって
ビールを一息にあおり
兄さんに清酒
コップ一杯二百二十円のを頼んで
夏だった
そとにはひかりが溢れていた

  *

引き絞られた呼び声が
ひかりにとけて
アスファルトに堆積する
枯れていく夏のふるえる手
耳を聾され
汗がにじんで
握りしめたのは
檸檬

藤本徹
「青葱を切る」所収
2016

One comment on “檸檬

  1. 檸檬は藤本徹さんの許諾をいただいた上で掲載しております。
    無断転載はご遠慮ください。

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