戦後日本における「詩」とは? 紙面を超えた実験的な詩作活動

 東京に滞在していた数年前、深夜に地下鉄大江戸線のプラットフォームで地図を見ていたら、少しお酒の入った若いカップルが近寄ってきて道順を教えてくれた。そして、その後色々と質問をしてきた。「日本で何をしているの?」-「学生です」、「何を勉強しているの?」-「日本文学です」、「どんなジャンル?」-「現代詩です」。一瞬の沈黙の後、女性の方が突然大声で私にこう言った。「すごい退屈!あなた退屈な人ね!」

 それでもなお私はこのテーマの研究を続けている。国際交流基金の日本研究フェローシップのおかげで昨年は東京に滞在し、博士論文「20世紀日本におけるメディアを横断する詩」の資料を収集することができた。地下鉄の女性の発言は単刀直入だったが、決して稀な考え方ではない。詩全般、特に現代詩は、他の芸術表現と比較して重要でない、影が薄い、退屈であるといった評判である。学術界でも例外ではない。詩は、小説、短編小説、視覚芸術、映画と比較して研究、執筆、教育面で圧倒的な遅れをとっている領域だ。

 しかし私は、今でも詩の重要性は高く、他の表現方法ではできないことを実現できると信じて研究に取り組んでいる。それを主題に、今年初旬に国際交流基金で私の研究の一端を紹介する「戦後日本における『詩』とは?」と題した研究報告を行った。報告では、1950~60年代に日本で創作された詩作品に焦点を絞り、「詩」の持つ可能性、「詩」を見せる/聴かせる/表現する/記録する/書き留める方法、「詩」の本来の意味、という概念に果敢に挑んだ当時の作品群について語った。

 第二次世界大戦後20年間で、日本における詩作品の伝統がほぼ確立されたと言える。文学史で頻繁に参照される詩人・詩壇には、荒涼な作風で心を揺さぶる田村隆一ら文豪、当時注目された石垣りん、富岡多恵子ら女性詩人、現在でも幅広く人気を集める谷川俊太郎や大岡信ら叙情詩人などが挙げられる。だが、当時の詩に対する私の最大の関心事はこれら詩人の作品(通常、詩誌に掲載された後に書籍刊行となる)ではない。

 私が興味を惹かれるのは、50年代、特に60年代に日本内外で展開された詩作品の異なる歴史的側面だ。当時、文筆活動か、言葉を使うか否かを問わず、無数の詩人が詩の概念の拡大に向けた活動を繰り広げた。文学、映画、テレビ、演劇、音楽、彫刻、ダンス、写真等を融合した自由奔放な芸術活動で、後に「インターメディア」と称される現象も台頭した。なかには即座に詩と認識できないような作品もある。しかし、これらを当時の詩作活動の中核に捉えることで、「文学作品」が、驚異的な柔軟性と多様性で新たなメディア技術、芸術動向、政治運動に即した変容を遂げてきたこと、別世界の架け橋となる潜在力を備えていることについて理解を深めることができる。

 その初期の例は、詩人、音楽評論家、作曲家だった秋山邦晴(1929-1996年)の作品である。1950年初期に若きアーティストが東京で結成したアヴァンギャルド芸術研究会「実験工房」のメンバーとして、彫刻家、エンジニア、詩人、現在でも人気の高い武満徹や湯浅譲二ら作曲家と活動を共にした。1950年に日本初のテープレコーダーが発売され、1953年9月に実験工房の「第5回発表会」で秋山は、世界初とされる「作品A」および「作品B:囚われた女」と題する「テープレコーダーのための詩」を発表した。

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秋山邦晴「テープレコーダーのための詩–作品 B: 囚われた女」の台本(1953年 私蔵)

いずれの作品も音源は紛失しているが、幸運なことに東京滞在中、「作品B」の現存する台本2点を目にする機会を得た。かつて資料でしか読んだ事のなかったものだ。20頁を超える36部構成で、様々な音声の並行録音、録音トラックの時刻表示、演出指導やサウンド操作など、驚くべき内容であった。まさに失われたシュルレアリスムの叙事詩(鏡、石、夜、風等のイメージを催眠効果で過剰に反復表現し、体・自然・構造体が継続的に断片化・変形する非現実的な景観を音で喚起する)である。米占領の最終年に創作され、翌年発表された本作品には生の音声や録音済みのサウンドが背景に紛れ込み、現代的な詩情が最先端メディア技術「磁気テープレコーダー」に欠かせないループ、スタッター、リバース等のサウンド効果との融合を果たす。サウンド操作、複数の音声、技術デモ、台本、無人の舞台、失われた録音としての「詩」なのである。

 仙台出身の新国誠一(1923-1977年)も多様な媒体を採用した詩人の一人で、漢字・ひらがな・カタカナを再配置した前衛的かつ視覚的な「コンクリート・ポエトリー(具体詩)」で世に知られる。写真植字機を使用して紙面の空間に文字を自由に配置する新国の具体詩は、単語を文字に、文字を部品にパーツ化する斬新なグラフィック手法で、文字の語義の域を超える意味の構築を実現した。例えば《川または洲》(1966年、下記の画像はオランダの壁詩)では、「川」および「洲」で文字や概念を表現するのみならず、文字を繰り返し配置することにより川辺を流れる水のような視覚的効果を創出している。

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新国 誠一《川または洲》の「壁詩」 1966年
オランダ(ライデン)、写真:デービッド・エプステイン

新国にとって、こうした種の詩作品を制作することは真にグローバルな芸術運動に参画するという意味でも重要性が高かった。各文字の意味の説明を付すことで日本語を解さない外国人でも容易に理解できる同氏の詩作品は、世界中の名詩選集にも収録されている。さらに新国は、フランス、英国、ブラジル出身の多様な詩人と協働して具体詩や音響詩の創作にも取り組んだ。視覚と音響、文学と芸術、他言語までもが豊かに織り交ざった作品として、新国の詩は国家や学術領域の境界線をも打破する手段へと進化していった。

 しかし当時、「詩」の含有する意味の拡大に最も大きく貢献したのはオノ・ヨーコ(1933年-)であろう。1960年代の世界的な実験芸術シーンで活躍した最も著名な日本人として知られるオノは、しばしば自分は何よりも詩人だと自称する。若い頃に詩の創作を始め、サラ・ローレンス大学学士課程で詩を専攻。1964年に、初期の代表作となるインストラクション形式の詩集『グレープフルーツ』を2言語(英語・日本語)で発表した。本書の大半が、読者に特定の行動(少なくとも行動している姿の想像)を促す指示語で構成される。こうしたインストラクション形式の詩は、読者の創造力や行動の譜面的な役割を果たし、日常生活を継続的な芸術実践に再プログラム化することを本来の意図としている。

1960年頃のオノの作品《タッチポエムNo.5》は書籍形式の作品である。文章のように白紙が接着され、絡みあった髪毛の束が置かれる以外、ページは白紙である。彫刻・本・体の融合により、ことばを使わず心で感じて読む作品となっている。オノの作品には総じて学術領域の境界線を根本的に拒絶する試みが伺えるが、その初期の例では詩が代表的手段として活用された。

 

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オノ・ヨーコ《とびら》 2011年、「オノ・ヨーコ展 希望の路」(広島市現代美術館) の展示風景 写真:Chiaki Hayashi
 上記3名は、斬新な形式や媒体を駆使して詩を創作した50~60年代詩人全体に見受けられる傾向のほんの一例である。その他には、スライドショーと朗読音声を融合した福島秀子の「オートスライド・ポエム」、抽象的な形状を使った菅野聖子の「セミオティック・ポエム」、世界中の人が郵送された指示を実践する塩見允枝子の「スペイシャル・ポエム」、モノを写真に収めて配置する北園克衛の「プラスティック・ポエム」、痛烈な美の表現でドキュメンタリー映画のあり方を再定義した松本俊夫の「ドキュメンタリー・ポエム」等がある。

 どこでも簡単に電子媒体にアクセスできる現代、人間性や芸術の未来に対する問いかけが絶えず浮上している。パソコンや携帯デバイスの画面上で読み、オーディオ形式で聴くことが大半になったら、文学はどのように変化していくのか?多数あるメディアの一形式で文学を体験し、無数の動画、音楽、映画、ポッドキャスト、ゲームと同じプラットフォームで文学を共有するのが一般化したら、私達は文学をどのように捉えれば良いのか?デジタル時代前の50~60年代に新媒体で創作された日本の詩作品こそ、こうした議論に対する別のアプローチを提案してくれる。表現方法としての「詩」ではなく、媒体・体・文章の交差点で生まれる体験・創作物に対する行動や姿勢としての「詩」の可能性をそこに垣間見ることができるのだ。このプロジェクトを通して、現代詩がいかに「退屈でない」かを証明することができればと願っている。

アンドリュー・カンパーナ
Webマガジン「をちこち」より転載
2016

2 comments on “戦後日本における「詩」とは? 紙面を超えた実験的な詩作活動

  1. こちらの記事はアンドリュー・カンパーナさんの許諾をいただいた上で、国際交流基金のWebマガジンである「をちこち」より転載しております。

    この記事を読んで興味を持たれた方は下記も参照してください。

    Webマガジン「をちこち」のサイトURL
    http://www.wochikochi.jp/relayessay/2016/11/experimental-poetry.php

    アンドリュー・カンパーナさんTwitter
    https://twitter.com/AndrewPCampana

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