海抜二千メートルの曠野の草から
鐘をつるした避難の塔が立っている。
人は一篇の詩を銅板に刻んで
安山岩のその表面に嵌めこんだ。
―私の詩だ。
あわれ、ほかの誰の詩でもなく、
或る年の秋に私がそこの夕日に書いた
私自身の「美ガ原」の詩だ。
今夜東京には寒々と冬の雨が降っている。
それならば北方の遠い信濃はおそらく雪だ。
雪は吼えたける風に巻かれて
あの高原のあの広大なひろがりを
悲しく暗く濠々と駆けめぐっていることだろう。
鐘は深夜の烈風におもたく揺れて
その青銅の舌で鳴りつづけているかも知れない。
そして私の詩碑が他郷の夜の吹雪のなかに
じっと堪えていることだろう。
いとおしいのは、しかし雪の夜も、
赤や黄に躑躅の燃える春の日も、
芒、尾花や、松虫草の秋といえども同じことだ。
なぜならばあの詩あの文宇はまさに私の一部であり、
その私がこの世ではまだ生きの身だからだ。
死んでの後は知るよしもない。
せめてなお生きて喜び悲しむかぎりは、
人々よ、
どうか私の詩を私とだけ在らせてくれ。
尾崎喜八
「歳月の歌」所収
1958