1 微笑
小さいマリよ
おまえは仔兎のように
ぼくの椅子の下に巣をつくったり
栗鼠のようにすばしこく
ぼくの頭の木のうえに駈けのぼったりする
あどけないおまえの声は いつもぼくに
ぼくの持っていない愛情を思い出させる
膝にのって話をせがむマリよ
ぼくが知っているのは おまえが生れる前のことだ
おまえが生れてからのことは
なんでもおまえの方がよく知っている
はてしない空 麦畑 街々
木々 家々 大地
それがどんなふうに
わけへだてのないぼくたちのあいだに
見えない国境をつくっているか
みんな知っているとおりだ
それから大人たちの仕事
きままなぼくの生活
話していいこと いけないこと
太陽に背をむけたそれらのものが
どのようにぼくたちの大地に暗い影を落すのかも
みんな知っているとおりなんだ
おまえの微笑は
雪にとざされたぼくの窓や
椅子のうえで寒さにふるえているぼくの手足を
あたたかい南国の陽ざしのように融かしてくれるから
小さいマリよ
ぼくはただ黙って
いつまでもおまえに向きあっていたいのだよ
2 夢
おまえは小さな手で
ぼくのものでない夢を
たえずぼくの心のなかに組みたてる
これはお山 これは川
それから指で大きな輪をえがいて
ここには海があるの
これはお家 これはお庭 これは樹
ここには犬がつないであるの
そうしておまえは自分のまわりに
ひとつずつ自然を呼びよせて
ぼくと一緒に住もうというのだ
あどけないマリの夢よ
おまえの世界には
沈黙に聴きいる石もなければ
歌わぬ梢
物言わぬ空というものがない
消えさる喜び 永くとどまる悲しみというものがない
これはお茶碗 これはお皿
大きいフライパンをあやつる小さいマリは
ぼくと一緒に暮そうという
3 歌
小さいマリよ
どんなに悲しいことがあっても
ぼくたちの物語を
はじめからやり直し
なんべんもなんべんもやり直して
気むずかしい人たちに聞かせてあげよう
小さいマリよ
さあキスしよう
おまえを高く抱きあげて
どんな恋人たちよりも甘いキスをしよう
まあお髭がいたいわと
おまえが言い
そんならもっと痛くしてやろうと
ぼくが言って
ふたりの運命を
始めからやり直せばいいのだよ
*
さあゆこう
小さいマリよ
おまえと歩むこの道は
とおくまで草木や花のやさしい言葉で
ぼくたちに語りかけてくるよ
どんなに暗い日がやってきても
太陽の涙から生れてきたぼくたちの
どこまでもつづく愛の歌で
この道を歩いてゆこう
小さいマリよ
さあ歌ってゆこう
よく舌のまわらぬおまえの節廻しにあわせて
大きな声でうたうぼくたちの歌に
みんなじっと耳をすましているのだから
ずっと空に近い野原の
高い梢で一緒に歌っている人たちが
心から喜んでくれるから
さあ歌ってゆこう
小さいマリよ
鮎川信夫
「続・鮎川信夫詩集」所収
1965