その人は 汀をさすらっていた と云うのですか?
いいえ 丁度そこを 通り合わせていたのでしょう。
ええ こんなふうに、、、。 あっち向きに、、、。
どこからですか?
どこからだか そんなことが わかりそうなら 訊いてみたんですけどね。
アテなしの 実にどうでもいいような 歩きざまで
汀の崖の上を ヒョコ ヒョコ ヒョコ ヒョコ
千鳥の散らばってる方に向かって 歩いていったのです。
おや 崖? 汀じゃ なかったのですか?
ナギサなんて 云いましたかね?
ガケですよ。 百米のガケですよ。
ガケの上に 砂の浜があるのですか?
砂じゃ なかったですかね。 でも 奴さん 砂の上を踏んでるみたいに
ヒョコ ヒョコ ヒョコ ヒョコ 歩いていったんですよ。
千鳥が そんなガケの上に いるのですか?
千鳥でなかったとしたら ピンタ・シルゴだね。
そう ピンタの奴が 実に沢山 その人のまわりを
送り迎えでもするように 啼き交わしたり 翔び交わしたりして
ヒラヒラ と まるで もつれそうに
その人の足どりと にぎわい合ってる みたいなんですね、、、。
あなたは とめなかったの?
そっちは ガケだよ 行けないよ って 何度も云おうとしたんですけど
何しろ 先のことは チャンと心得ているような 足取りでしょう。
声をかける スキがありませんや。
そのまま 飛んだのかね?
いいえ まっすぐ 歩いていっちゃたって 云ってるでしょう。
抱きとめる ヒマは無かったの?
いいえ 南無 も 阿弥 も ありゃしませんや。
まるで 宇宙船みたいに フンワリ開いて 落ちていってさ
その落下が 無限を語るように
実に 長い長い 軌跡を曳いていっただけですよ。
酔っていたのでしょうね?
いいえ 酔った気配なんか ミジンも 感じられませんでした。
それとも 自殺?
冗談じゃない あんな自殺ってあるもんですか。
見事な水シブキが 音もなく その男のまわりに 口をあけただけでした。
あなたは 見たわけね? その男の 落ちてゆく姿を?
咄嗟に 私は泣いちゃった。 何が 悲しいって 云うんですかね?
あんなに キレイな 軌跡と 水シブキを 見たって 云うのにさ。
だから あの男は 死んでなんぞ いませんよ。
おや どうして?
どうしてって お日様を呑みこむようにしながら
ヒョコ ヒョコ ヒョコ 歩いていっただけですもの。
どこへ ですか?
さあ どこへって どこへでもいいようにさ。
あっち向きに さ。
檀一雄
「檀一雄詩集」所収
1975