こほろぎ

こほろこほろと鳴く蟲の
秋の夜のさびしさよ。
日ごろわすれし愁さへ
思ひ出さるるはかなさに
袋戸棚かきさがし、
箱の塵はらひ落して、
棹もついて見たれども、
あはれ思へば、隣の人もきくやらむ、
つたなき音は立てじとて、その儘におく。
月はいよいよ冱えわたり
悲みいとど加はんぬ。
晝はかくれて夜は鳴く
蟋蟀の蟲のあはれさよ、
しばしとぎれてまた低く
こほろこほろと夜もすがら。

木下杢太郎
「食後の唄」所収
1919

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