こひびとよ、
おまへの 夜のくちびるを化粧しないでください、
その やはらかいぬれたくちびるに なんにもつけないでください、
その あまいくちびるで なんにも言はないでください、
ものしづかに とぢてゐてください、
こひびとよ、
はるかな 夜のこひびとよ、
おまへのくちびるをつぼみのやうに
ひらかうとして ひらかないでゐてください、
あなたを思ふ わたしのさびしさのために。
大手拓次
「大手拓次詩集」所収
1934
古里の厩は遠く去つた
花が皆ひらいた月夜
港まで走りつゞけた私であつた
朧な月の光りと赤い放浪記よ
首にぐるぐる白い首巻きをまいて
汽船を恋ひした私だつた。
だけれど……
腕の痛む留置場の窓に
遠い古里の蒼い馬を見た私は
父よ
母よ
元気で生きて下さいと呼ぶ。
忘れかけた風景の中に
しほしほとして歩ゆむ
一匹の蒼馬よ!
おゝ私の視野から
今はあんなにも小さく消へかけた
蒼馬よ!
古里の厩は遠く去つた
そして今は
父の顔
母の顔が
まざまざと浮かんで来る
やつぱり私を愛してくれたのは
古里の風景の中に
細々と生きてゐる老いたる父母と
古ぼけた厩の
老いた蒼馬だつた。
めまぐるしい騒音よみな去れつ!
生長のない廃屋を囲む樹を縫つて
蒼馬と遊ぼうか!
豊かなノスタルヂヤの中に
馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!
私は留置場の窓に
遠い厩の匂ひをかいだ。
林芙美子
「蒼馬を見たり」所収
1930
或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水と、なよなよした海草とが動いてゐた。そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。
萩原朔太郎
「宿命」所収
1939
あらゆるものをひきよせてゐるおまへの縫針。夜がある、花がある、電気の光りがある、そして私の幸福が。
おまへの指が縫ひつけるまでに、すでに私はおまへの着物の中にひそむ。
そして、美しく動くおまへの指の運びを後じさりしながら招いてゐる。
ここにゐるよ、ここにゐるよと私は呼ぶ。
おまへの仕事に見惚れながら、おまへに触れながら。
あらゆるものをひきよせてゐるおまへの縫針。
私の目蓋がある、睫毛がある。眼がある、そして私の心臓が。
竹中郁
「署名」所収
1936
私は遅刻する。世の中の鐘がなってしまったあとで、私は到着する。私は既に負傷している‥‥
菱山修三
「懸崖」所収
1931
「あそこの電線にあれ燕がドレミハソラシドよ」
――毎日こんなにいいお天気だけれど、もうそろそろ私たちの出発も近づいた。午後の風は胸に冷めたいし、この頃の日ぐれの早さは、まるで空の遠くから切ない網を撒かれるやうだ。夕暮の林から蜩が、あの鋭い唱歌でかなかなかなかなと歌ふのを聞いてゐると、私は自分の居る場所が解らなくなつてなぜか泪が湧いてくる。
――それは毎年誰かの言ひだすことだ。風もなかつたのに、私は昨夜柿の実の落ちる音を聞いた。あんなに大きく見えた入道雲も、もうこの頃では日に日に小さくなつて、ちよつと山の上から覗いたかと思ふと、すぐまたどこかへ急いで消えてしまふ。
――私は昨夜稲妻を見ましたわ。稲妻を見たことがある? あれが風や野原をしらぬ間にこんなにつめたくするのでせう。これもそのとき見たのだけれど、夜でも空にはやはり雲があるのね。
――あんなちつちやな卵だつたのに、お前も大変もの知りになりましたね。
――さあみんな夜は早くから夢を見ないで深くお眠り、そして朝の楽しい心で、一日勇気を喪はずに風を切つて遊び廻らう。帰るのにまた旅は長いのだから。
――帰るといふのかしら、去年頃から、私はどうも解らなくなつてしまつた。幾度も海を渡つてゐるうちに、どちらの国で私が生れたのか、記憶がなくなつてしまつたから。
――どうか今年の海は、不意に空模様が変つて荒れたりなどしなければいいが。
――海つてどんなに大きいの、でも川の方が長いでせう?
――もし海の上で疲れてしまつたらどうすればいいのかしら。海は水ばかりなんでせう。そして空と同じやうに、どこにも休むところがないのでせう、横や前から強い風が吹いてきても。
――疲れてみんなからだんだん後に遅れて、ひとりぼつちになつてしまつたらどんなに悲しく淋しいだらうな。
――いや、心配しなくていいのだ。何も心配するには当らない。海をまだ知らないものは訳もなくそれを飛び越えてしまふのだ。その海がほんとに大きく思へるのは、それはまだお前たちではない。海の上でひとりぼつちになるのは、それはお前たちではないだらう……。けれども何も心配するには当らない。私たちは毎日こんなに楽しく暮してゐるのに、私たちの過ちからでなく起つてくることが、何でそんなに悲しいものか。今までも自然がさうすることは、さうなつてみれば、いつも予め怖れた心配とは随分様子の違つたものだつた。ああ、たとへ海の上でひとりぼつちになるにしても……。
三好達治
「測量船」所収
1930
日光浴室(さんるうむ)
蔦がここまでのびました
らるらる光がもつれます
日光浴室
鳩が影してとびました
ガラスの外のあをい空
日光浴室
母さん毛糸をほぐします
冬が近くにきてませう
日光浴室
ぼくはベッドで手をのばす
おひるのドンがなりました
日光浴室
いちにち白いお部屋です
いちにち白いお部屋です
桜間中庸
「日光浴室 櫻間中庸遺稿集」所収
1934
それはすべて人の眼である。
白くひびく言葉ではないか。
私は帽子をぬいでそれ等をいれよう。
空と海が無数の花弁をかくしてゐるやうに。
やがていつの日か青い魚やばら色の小鳥が私の顔をつき破る。
失つたものは再びかへつてこないだらう。
左川ちか
「左川ちか詩集」所収
1936
朝のバルコンから波のやうにおしよせ
そこらぢゆうあふれてしまふ
私は山のみちで溺れさうになり
息がつまつていく度もまへのめりになるのを支へる
視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉ぢたりする
それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる
私は人に捨てられた
左川ちか
「左川ちか詩集」所収
1936